長い間ご無沙汰でした。しかし今後もご無沙汰になること間違いなしでしょう。
今日は気が向いたので、ちょっと書きたいと思います。
最近は映画を控えております。
なぜなら自分は映画を観るに値するような、いや、映画好きって言っていいような観賞眼とでもいいましょうか、それとも感受性とでも言いましょうか、が大きく欠けていることに気づいたのです。実は前々から疑ってはいたんですが、それがはっきりいたしました。私がおもしろいと思える映画は「------!」みたいな映画です。何が言いたいかと申しますと、最後さえ感動できれば途中がどうあれおもしろいじゃん!!っていう映画しかおもしろいと思えないのです。映画はやっぱりすべて、つまり、音声、映像、内容、登場人物、演技、セリフ、演出、カメラワークなどなどがひとつになって映画といえます。というか、それが映画です。私にはその10以上はある(もちろん細かく挙げていけば100個以上あるでしょう)映画の要素を解さないのです。私は途方にくれました。自分に落胆しました。まぁ最後の盛り上がらない映画のつまらないのなんの!いや、つまらないとまでは言いません。でも観終わった後の満足感がまるで得られないのです。わかりやすい内容でわかりやすい感動の結末さえ用意してくれれば私はどんな映画にも感動します。どんな映画にもおもしろかったといいます。あぁ、なんと残念なことでしょう。自分の運命はもちろんのろいません。しかし、そうやって育ってきた自分が悲しいです。なによりもそんな器で映画を観ていたのかと思うと、今にもアリ地獄に吸い込まれそうです。もちろん、私が映画を観ちゃいけないなんて制約はどこにも存在しません(R指定は存在します)。しかし、そこが問題ではないのです。わかるでしょうか。あなたにこの気持ちが推し量れるでしょうか。今まで普通の人よりは映画を観てきたつもりです。だからといってどうしたのでしょう。私の感動できる(そういうとわかりやすいと思って使っています)映画なんか所詮その程度の映画だったのです。中にはもちろん名作もあったことでしょう。名作は誰が観ても名作なのでもちろん私が観ても名作です。しかし、わたしはその名作を毛ほども語ることを許されないでしょう。どうしてこうなのでしょう。名作たちに失礼です。長くなりましたが、そういう理由から映画を控えております。控えている間にもっともっと出来る限り映画に近づけるように自分を鍛えたいと思います。もちろんそうしてる間にも少しは映画を観ます。
映画は好きです。しかし、今の私にその本当の価値は見出せません。
もうひとつ書きます。「暇とお金」について少しだけ。
「金はないが、暇はある」という言葉を一度は耳にしたことがあるでしょう。ええ、もちろん私もある気がします。この表現は残念ながら本質がまったくつかめていません。私は「金がないから、暇がある」のです。金がなくても暇はつぶせる。いやその意見もごもっともでしょう。か?本当にそうでしょうか?もし私が小学生にも匹敵するぐらいの感受性と好奇心を持っていたら、それも可能でしょう。しかし、人間は歳をとっていくにつれて感動できることが減っていきます。言い換えれば、鈍感になっていくのです。今の私はそこまで鈍感じゃありませんが、神経を刺激するほどの刺激をお金なしに味わえるかといったら無理です。お金はそれ自体ももちろん神経を刺激します。しかし、その刺激ほど低劣なことはないでしょう。そしたら、そんなものは捨てて他の刺激にまわしましょう。やはり私はいわゆる現代人なのでしょうか。刺激を感じることができにくくなっている。本当でしょうか。そうは思いません。私も昔の人と同じくらい刺激を味わえるはずです。しかし、お金がありません。だから暇なのです。ただ単に脳に刺激が足りないのです。その刺激を読書などからえらられば苦労はありませんが、それは私にとっては無理なことなのです。お金はその存在が極めておかしなものですが、暇つまり脳への刺激の不足を満たすという大きな役割を持っています。お金はそういう意味ではとても大切なものです。とくに今は大切です。別に暇が怖いわけではありません。しかし、やはり少しは恐怖します。もちろん脳が私もつかさどっていますから当然です。学生と暇とお金はとても深い関係にあります。そんなこといまさら言われなくてもわかってるわ!って思ったひと!嫌いです。
そんなこんなでふたつのテーマを扱ってみました。でも読者が二人なのでひとりひとつといった感じでしょうか(意味不明ですね)。もう少し読者を増やしてみます。どうやって?わかりません。
それではまた遠い未来で逢いましょう。
2010年7月4日日曜日
歌舞伎鑑賞教室
今日は学校のイベント?というか学校が奨励していた歌舞伎鑑賞にいってまいりました。値段は通常大人3,800円の一等席をなんと650円という破格で見れました。まぁ学生だから半額くらいにはなるのかもしれないけど。あと、一等席といっても前の方というだけで「花道」からは一番遠い場所でした。しかし、援助されているだけに文句はいえませぬ。
このタイトルにもある歌舞伎鑑賞教室というのは国立劇場主催?のイベントでおおくの人に歌舞伎とはどういうものか知ってもらおう!そして定期的に足を運んでもらおう!という趣旨のものです。たぶん中学生か高校生のときに見に行った歌舞伎もこの類のものだった気がします。しかし、そのときは花道も近かったように思います。そんでもってどういった教室かというと、歌舞伎の演目が始まる前に、歌舞伎の基本的な事柄についての説明があります。その司会というか進行役を歌舞伎役者がやるのでなかなか豪華な気もします。たとえば、歌舞伎の歴史から始まって、舞台だったら床が回転するようになってるんだよーとか奥行きが20Mくらいあるんだよーとか、舞台が上下したりするんだよーとか、そんな感じの説明を笑いとともに誰にでもわかるように教えてくれます。しかし日本語を理解しない外人にはわからないかもしれません。その中で何よりも興味深かったのは、歌舞伎役者が化粧をするところを見せてくれるやつです。普段みれるようなものではないと思うのでなかなか刺激的でした。
今回みた演目?は『身代座禅』というものです。『身代座禅』は狂言に端を発する演目で内容は現代にも通じるところがあるかもしれません。だいぶかいつまんで説明すると、男が妻意外の女性に恋をしていてどうしても会いたいんだけど、その妻である女性が夫のことをめちゃめちゃ好きだから全然そばを離れない。困ったぞということで男は妻に、最近悪い夢を見るから寺々を回ってお清めしてくると提案します。しかし、妻はそれにも反対します。それでは家のちっちゃな寺の中で一日座禅を組んでいるから絶対にじゃまをしないでくれと頼みます。しぶしぶ了解した妻はそれでも夫のことが心配です。そんな妻の性格は知っている夫は座禅を組むふりをして家来?みたいな男に衣を羽織らせて自分の身代わりをさせます。その間に自分は女のところに行きます。ここからが問題。なんと妻がどうしても気になって座禅を組んでいる家来のところにきてしまいます。家来はなんとかばれないようにしますが、どうしても顔だけでもみたい妻は衣を脱がしてしまいます。さぁ大変、妻は怒り狂い代わりに自分が座禅をして夫を待っているといいます。さぁ夫の運命やいかに。。。
ざっとこんなもんでしょう。詳しいことかいてもあんまりよくわからんだろうし、かいつまんだ説明で意外と結構詳しく説明できちゃってるしみたいな。だから歌舞伎ってそんくらい簡単なものなんですね。もちろん歌舞伎は能とは違い大衆に向けた文化ですから、教養のないひとでも楽しめることが前提です。歌舞伎はエンターテイメントです。感想はといいますと。新鮮で内容もおもしろくて楽しめましたが、俺には歌舞伎を深くまで楽しめるような素養はない気がします。素養っていってもわかりにくいかもしれんけど、なんていうか歌舞伎とか能とか狂言とかを受け入れるだけの知識も興味関心もありませんっていうことだわね。なんてダメな日本人でしょう。こんな日本人がいたほうがいいのでしょうか!!疑問です。でも素直な感想で、すぐ観に行くか?って言われてもいや別にいいやってなる気がいたします。歌舞伎自体は時間も長いわけではなく飽きずに鑑賞することができるのですが、なんか壁がありましたね。バカの壁でしょうか。もう何回か挑戦してみてそれでもつまらない。。。。いやつまるんだけど、なんていうか歌舞伎の世界に入り込めない?ならおそらくもうちょっと歳を重ねないとだめですね。
みなさん!歌舞伎は伝統芸能です。体の文化ですよ!日本人のエッセンスが詰め込まれてます。是非ご鑑賞ください!!ただし蓼食う虫も好き好きです。私みたいに非国民であることもありえます。ちょっと言いすぎかw
このタイトルにもある歌舞伎鑑賞教室というのは国立劇場主催?のイベントでおおくの人に歌舞伎とはどういうものか知ってもらおう!そして定期的に足を運んでもらおう!という趣旨のものです。たぶん中学生か高校生のときに見に行った歌舞伎もこの類のものだった気がします。しかし、そのときは花道も近かったように思います。そんでもってどういった教室かというと、歌舞伎の演目が始まる前に、歌舞伎の基本的な事柄についての説明があります。その司会というか進行役を歌舞伎役者がやるのでなかなか豪華な気もします。たとえば、歌舞伎の歴史から始まって、舞台だったら床が回転するようになってるんだよーとか奥行きが20Mくらいあるんだよーとか、舞台が上下したりするんだよーとか、そんな感じの説明を笑いとともに誰にでもわかるように教えてくれます。しかし日本語を理解しない外人にはわからないかもしれません。その中で何よりも興味深かったのは、歌舞伎役者が化粧をするところを見せてくれるやつです。普段みれるようなものではないと思うのでなかなか刺激的でした。
今回みた演目?は『身代座禅』というものです。『身代座禅』は狂言に端を発する演目で内容は現代にも通じるところがあるかもしれません。だいぶかいつまんで説明すると、男が妻意外の女性に恋をしていてどうしても会いたいんだけど、その妻である女性が夫のことをめちゃめちゃ好きだから全然そばを離れない。困ったぞということで男は妻に、最近悪い夢を見るから寺々を回ってお清めしてくると提案します。しかし、妻はそれにも反対します。それでは家のちっちゃな寺の中で一日座禅を組んでいるから絶対にじゃまをしないでくれと頼みます。しぶしぶ了解した妻はそれでも夫のことが心配です。そんな妻の性格は知っている夫は座禅を組むふりをして家来?みたいな男に衣を羽織らせて自分の身代わりをさせます。その間に自分は女のところに行きます。ここからが問題。なんと妻がどうしても気になって座禅を組んでいる家来のところにきてしまいます。家来はなんとかばれないようにしますが、どうしても顔だけでもみたい妻は衣を脱がしてしまいます。さぁ大変、妻は怒り狂い代わりに自分が座禅をして夫を待っているといいます。さぁ夫の運命やいかに。。。
ざっとこんなもんでしょう。詳しいことかいてもあんまりよくわからんだろうし、かいつまんだ説明で意外と結構詳しく説明できちゃってるしみたいな。だから歌舞伎ってそんくらい簡単なものなんですね。もちろん歌舞伎は能とは違い大衆に向けた文化ですから、教養のないひとでも楽しめることが前提です。歌舞伎はエンターテイメントです。感想はといいますと。新鮮で内容もおもしろくて楽しめましたが、俺には歌舞伎を深くまで楽しめるような素養はない気がします。素養っていってもわかりにくいかもしれんけど、なんていうか歌舞伎とか能とか狂言とかを受け入れるだけの知識も興味関心もありませんっていうことだわね。なんてダメな日本人でしょう。こんな日本人がいたほうがいいのでしょうか!!疑問です。でも素直な感想で、すぐ観に行くか?って言われてもいや別にいいやってなる気がいたします。歌舞伎自体は時間も長いわけではなく飽きずに鑑賞することができるのですが、なんか壁がありましたね。バカの壁でしょうか。もう何回か挑戦してみてそれでもつまらない。。。。いやつまるんだけど、なんていうか歌舞伎の世界に入り込めない?ならおそらくもうちょっと歳を重ねないとだめですね。
みなさん!歌舞伎は伝統芸能です。体の文化ですよ!日本人のエッセンスが詰め込まれてます。是非ご鑑賞ください!!ただし蓼食う虫も好き好きです。私みたいに非国民であることもありえます。ちょっと言いすぎかw
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