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2010年9月10日金曜日

久々の更新

 長い間ご無沙汰でした。しかし今後もご無沙汰になること間違いなしでしょう。

今日は気が向いたので、ちょっと書きたいと思います。

 最近は映画を控えております。
 なぜなら自分は映画を観るに値するような、いや、映画好きって言っていいような観賞眼とでもいいましょうか、それとも感受性とでも言いましょうか、が大きく欠けていることに気づいたのです。実は前々から疑ってはいたんですが、それがはっきりいたしました。私がおもしろいと思える映画は「------!」みたいな映画です。何が言いたいかと申しますと、最後さえ感動できれば途中がどうあれおもしろいじゃん!!っていう映画しかおもしろいと思えないのです。映画はやっぱりすべて、つまり、音声、映像、内容、登場人物、演技、セリフ、演出、カメラワークなどなどがひとつになって映画といえます。というか、それが映画です。私にはその10以上はある(もちろん細かく挙げていけば100個以上あるでしょう)映画の要素を解さないのです。私は途方にくれました。自分に落胆しました。まぁ最後の盛り上がらない映画のつまらないのなんの!いや、つまらないとまでは言いません。でも観終わった後の満足感がまるで得られないのです。わかりやすい内容でわかりやすい感動の結末さえ用意してくれれば私はどんな映画にも感動します。どんな映画にもおもしろかったといいます。あぁ、なんと残念なことでしょう。自分の運命はもちろんのろいません。しかし、そうやって育ってきた自分が悲しいです。なによりもそんな器で映画を観ていたのかと思うと、今にもアリ地獄に吸い込まれそうです。もちろん、私が映画を観ちゃいけないなんて制約はどこにも存在しません(R指定は存在します)。しかし、そこが問題ではないのです。わかるでしょうか。あなたにこの気持ちが推し量れるでしょうか。今まで普通の人よりは映画を観てきたつもりです。だからといってどうしたのでしょう。私の感動できる(そういうとわかりやすいと思って使っています)映画なんか所詮その程度の映画だったのです。中にはもちろん名作もあったことでしょう。名作は誰が観ても名作なのでもちろん私が観ても名作です。しかし、わたしはその名作を毛ほども語ることを許されないでしょう。どうしてこうなのでしょう。名作たちに失礼です。長くなりましたが、そういう理由から映画を控えております。控えている間にもっともっと出来る限り映画に近づけるように自分を鍛えたいと思います。もちろんそうしてる間にも少しは映画を観ます。
映画は好きです。しかし、今の私にその本当の価値は見出せません。

 

 もうひとつ書きます。「暇とお金」について少しだけ。
 「金はないが、暇はある」という言葉を一度は耳にしたことがあるでしょう。ええ、もちろん私もある気がします。この表現は残念ながら本質がまったくつかめていません。私は「金がないから、暇がある」のです。金がなくても暇はつぶせる。いやその意見もごもっともでしょう。か?本当にそうでしょうか?もし私が小学生にも匹敵するぐらいの感受性と好奇心を持っていたら、それも可能でしょう。しかし、人間は歳をとっていくにつれて感動できることが減っていきます。言い換えれば、鈍感になっていくのです。今の私はそこまで鈍感じゃありませんが、神経を刺激するほどの刺激をお金なしに味わえるかといったら無理です。お金はそれ自体ももちろん神経を刺激します。しかし、その刺激ほど低劣なことはないでしょう。そしたら、そんなものは捨てて他の刺激にまわしましょう。やはり私はいわゆる現代人なのでしょうか。刺激を感じることができにくくなっている。本当でしょうか。そうは思いません。私も昔の人と同じくらい刺激を味わえるはずです。しかし、お金がありません。だから暇なのです。ただ単に脳に刺激が足りないのです。その刺激を読書などからえらられば苦労はありませんが、それは私にとっては無理なことなのです。お金はその存在が極めておかしなものですが、暇つまり脳への刺激の不足を満たすという大きな役割を持っています。お金はそういう意味ではとても大切なものです。とくに今は大切です。別に暇が怖いわけではありません。しかし、やはり少しは恐怖します。もちろん脳が私もつかさどっていますから当然です。学生と暇とお金はとても深い関係にあります。そんなこといまさら言われなくてもわかってるわ!って思ったひと!嫌いです。

 
 そんなこんなでふたつのテーマを扱ってみました。でも読者が二人なのでひとりひとつといった感じでしょうか(意味不明ですね)。もう少し読者を増やしてみます。どうやって?わかりません。

 それではまた遠い未来で逢いましょう。

2010年7月4日日曜日

現代へのアンチテーゼ



 かっこいいタイトルをつけてみました。どうも楽天的な臆病ものです。
 
 本日、みなさんご存知スタジオジブリ不朽の名作『天空の城ラピュタ』を鑑賞いたしました!ちょっと待てよ!これ1位ちゃうか?ってくらいすばらしい作品でした。もちろん監督・脚本・演出?(最後の三つめわかりませんが)は我らが宮崎駿監督です。携帯の変換にも一発ででること間違いなしの超人間級の天才です。ほめすぎました。そして音楽は我が師(気持ち)である久石譲殿でございます。記憶が正しければこの作品からジブリの音楽を手がけるようになったのかと。内容はみなさんご存知のはず!ですので私の解釈や感想を書きます。ちなみにかなり雑でネットに書き込んだら炎上するんじゃないか?ってくらい幼稚なものなので是非見てやってください。



 時はイギリスかどこかの産業革命の時代(人類の発展つまり科学や工業技術の発展です)。バズー?パズー?少年は国宝級の少女シータまたの名をルシータ・トエル・ウル・ラピュタ(うろ覚え)に出会います。この場面がもう感動的ではなっから名作オーラがガンガン出ています。そんなことはさておき、この映画なんと現代にこそ必要な映画ではないでしょうか!!それを紆余曲折を経て最終的に結論が出るかわからないあまりに混沌とした説明で解き明かしていきたいと思います。
 まず舞台に注目ですね。最初に書いたように、産業革命の時代です。すべてが技術の発展ひいては人類の発展という名目で進んでいる時代です。人類の発展のためならほかのことなんて知ったこっちゃないぜ!ってことですね。この時代にそれ以外のこと考えている先見の明がある人物はそういなかったことでしょう。そんな時代のはるか昔700年前に現在の人類よりはるかに科学技術の発達した天空文明が存在しました。しかし、映像を見れば明らかのようにこの文明は自然の力により崩壊します。いやあまりに発展しすぎたため崩壊したといってもいいでしょう。700年後の現在その文明の圧倒的な技術=世界を征服できる力を利用しようと、まさかの正統な血統の王族の子孫にあたるムスカ君がシータの前に現れます。どうしてそこを正統な血族にしたんだろうかという疑問もありますが、俺には理解できないくらい深い意味がそこには含まれていることでしょう。ムスカ君のなんと人間らしいことやら!一番人間味にあふれています。あんなに不の側面を成長させた王族もなかなかいないでしょう。「見ろ、人間がゴミのようだ!」なんて言葉人間以外には吐けません。
 さて、話を本筋に戻します。このムスカ君は超文明を使って世界を牛耳ることを目論見ます。そのためには自然で育ったいたいけな少女シータの力(飛行石と呪文)が必要でした。この対比が重要ですね。ムスカ君が裕福な家庭で都会の中で育ったことは見れば明らかでしょう。そんでもってシータの強奪戦が始まるわけですね。なんでもかんでもお構いないしです。盗賊は財宝目当てならシータの命なんてお構いなし。ムスカ君率いる軍側も兵器を使って殺戮行為の限りを尽くします(尽くしません)。そしてムスカ君はあれこれあって力を手に入れることに成功しラピュタを目指します。力を奪うまでに登場するラピュタ文明の機械(=文明)がまぁなんと残酷でシータだけにやさしいことやら。でもここが重要です。なぜかって文明の象徴である機械が文明の行動を阻止するわけですからね。もちろんシータを救うという使命があってのことですが、なかなかおもしろい暗示になっていると考えます。
 自然派の二人シータとパズー(鳥とかにも好かれてる)は盗賊の仲間になってラピュタを目指します。盗賊の船からふたりだけ引き離されて「竜の巣」なかにとりこまれてしまうわけですが、その場面を見るとどうしてもヒッチコックの作品『2001年宇宙の旅』に似ていると思うんですよね。どっちが先か知らんけど明らかに意識してるっしょてな感じもします。つまり文明の届かないような場所に進んでいるかのような暗示です。それで終に天空の城ラピュタに到着するわけですが、そこで待っていたのは超自然派ロボット君でした。鳥の事とか超気にするし、動物たちとも共存しまくりです。つまり滅びた超文明であるラピュタ文明と自然が共生しているんです。なんともアイロニックですね。それでは今の人類はどうでしょう-?
 そんでなんだかんだあってムスカ君は圧倒的な力を手に入れて手始めに軍の人たちを皆殺しにします。ここでの言葉が先ほど述べた言葉です。まぁラピュタの軍事力のすさまじいこと!われわれの住む今の現在でも勝てそうにありません。そんな力を使うムスカ君の行動を見ていられない自然派少女のシータさんはガンバって石を取り返し逃走します。そして見事な忍耐と突破力でまさかのラピュタ入りを果たした、今の日本代表のトップに欲しい存在のパズーいやバズーと合流します。いまさらですが、このバズーっていう少年、かっこいい!バズーとシータはジブリの今後を担う人物像です。これこそがジブリファンが多い原因でもありましょう。この性格は若干ディズニーにおける主人公とヒロインにも似ているかもしれません。
 いよいよ文章にまとまりがなくなってきましたが、頑張りましょう!そんで合流した二人は最後の手段つまり滅びの呪文を使います。この滅びの呪文の短いこと。日常的にも口ずさんじゃうかもねくらいです。たった一言の呪文でラピュタ「文明」は崩壊します。なぜカッコ付けというと文明は崩壊しますが、飾りであったはずの自然の部分は生き残るからです。超自然物の「飛行石」だけが名残といえるでしょうか。つまり古代に繁栄のきわみをつくした超文明が一瞬にして崩壊し、残ったのは手付かずの自然だけです。言い換えれば、人間の作った文明の脆いこと脆いこと。結局自然の力には勝てません。また、文明は自然によっても滅びますが、文明それ自身によっても滅ぶのですね。ここに現代へのアンチテーゼがあるのではないでしょうか。
 今の文明は発展の極みといっても過言ではないくらい発展していますね。終にはしゃべるロボットや人間の遺伝子操作なんてこともできちゃいます。その繁栄の対価として払ってきたのが地球が育ててきた自然です。もちろん人間のものであるはずがありません。しかしその代償として今地球の自然は悲鳴をあげています。いずれは人間も空に行くかもしれませんね。そこで大切なせりふがあります。シータのセリフに「人間は地に着いていないとダメなんだよ!」みたいなセリフがあります。つまり自然と共に生きていかないとダメなんだよってことですね。人間はものすごい年月をかけて今そのことに気づこうとしています。しかし、失ったものを取り戻すのは簡単ではないでしょう。古代に発展した超文明ラピュタでさえも自然に勝てない。まさに超文明ラピュタの結末こそが今人類の歩んでいる道ではないでしょうか。自然に勝つ勝たないの問題ではありません。人間が生きていけるかどうかの問題です。人間は全員あるいみ身勝手でしょう。それもしかたありません、こんだけの知能をもっているんだから。しかし神様はこの世界をおもしろいくらいよくおつくりになられて奉り申し上げまくりなので、身勝手は許しません。
 現在の文明に求められていることはなんでしょう?身勝手な人間が今考えなければいけないことはなんでしょう?書き足りないこともあろうと思いますが、一時間かけてこのメッセージをお伝えしてみました。おいらのオナニー(事故マン)にお付き合いいただいた方には感謝の意をお伝えしたいと思います。

歌舞伎鑑賞教室

 今日は学校のイベント?というか学校が奨励していた歌舞伎鑑賞にいってまいりました。値段は通常大人3,800円の一等席をなんと650円という破格で見れました。まぁ学生だから半額くらいにはなるのかもしれないけど。あと、一等席といっても前の方というだけで「花道」からは一番遠い場所でした。しかし、援助されているだけに文句はいえませぬ。

 このタイトルにもある歌舞伎鑑賞教室というのは国立劇場主催?のイベントでおおくの人に歌舞伎とはどういうものか知ってもらおう!そして定期的に足を運んでもらおう!という趣旨のものです。たぶん中学生か高校生のときに見に行った歌舞伎もこの類のものだった気がします。しかし、そのときは花道も近かったように思います。そんでもってどういった教室かというと、歌舞伎の演目が始まる前に、歌舞伎の基本的な事柄についての説明があります。その司会というか進行役を歌舞伎役者がやるのでなかなか豪華な気もします。たとえば、歌舞伎の歴史から始まって、舞台だったら床が回転するようになってるんだよーとか奥行きが20Mくらいあるんだよーとか、舞台が上下したりするんだよーとか、そんな感じの説明を笑いとともに誰にでもわかるように教えてくれます。しかし日本語を理解しない外人にはわからないかもしれません。その中で何よりも興味深かったのは、歌舞伎役者が化粧をするところを見せてくれるやつです。普段みれるようなものではないと思うのでなかなか刺激的でした。

 今回みた演目?は『身代座禅』というものです。『身代座禅』は狂言に端を発する演目で内容は現代にも通じるところがあるかもしれません。だいぶかいつまんで説明すると、男が妻意外の女性に恋をしていてどうしても会いたいんだけど、その妻である女性が夫のことをめちゃめちゃ好きだから全然そばを離れない。困ったぞということで男は妻に、最近悪い夢を見るから寺々を回ってお清めしてくると提案します。しかし、妻はそれにも反対します。それでは家のちっちゃな寺の中で一日座禅を組んでいるから絶対にじゃまをしないでくれと頼みます。しぶしぶ了解した妻はそれでも夫のことが心配です。そんな妻の性格は知っている夫は座禅を組むふりをして家来?みたいな男に衣を羽織らせて自分の身代わりをさせます。その間に自分は女のところに行きます。ここからが問題。なんと妻がどうしても気になって座禅を組んでいる家来のところにきてしまいます。家来はなんとかばれないようにしますが、どうしても顔だけでもみたい妻は衣を脱がしてしまいます。さぁ大変、妻は怒り狂い代わりに自分が座禅をして夫を待っているといいます。さぁ夫の運命やいかに。。。

 ざっとこんなもんでしょう。詳しいことかいてもあんまりよくわからんだろうし、かいつまんだ説明で意外と結構詳しく説明できちゃってるしみたいな。だから歌舞伎ってそんくらい簡単なものなんですね。もちろん歌舞伎は能とは違い大衆に向けた文化ですから、教養のないひとでも楽しめることが前提です。歌舞伎はエンターテイメントです。感想はといいますと。新鮮で内容もおもしろくて楽しめましたが、俺には歌舞伎を深くまで楽しめるような素養はない気がします。素養っていってもわかりにくいかもしれんけど、なんていうか歌舞伎とか能とか狂言とかを受け入れるだけの知識も興味関心もありませんっていうことだわね。なんてダメな日本人でしょう。こんな日本人がいたほうがいいのでしょうか!!疑問です。でも素直な感想で、すぐ観に行くか?って言われてもいや別にいいやってなる気がいたします。歌舞伎自体は時間も長いわけではなく飽きずに鑑賞することができるのですが、なんか壁がありましたね。バカの壁でしょうか。もう何回か挑戦してみてそれでもつまらない。。。。いやつまるんだけど、なんていうか歌舞伎の世界に入り込めない?ならおそらくもうちょっと歳を重ねないとだめですね。

 みなさん!歌舞伎は伝統芸能です。体の文化ですよ!日本人のエッセンスが詰め込まれてます。是非ご鑑賞ください!!ただし蓼食う虫も好き好きです。私みたいに非国民であることもありえます。ちょっと言いすぎかw

2010年7月3日土曜日

チベット問題って?


 そんな疑問に答えてくれるのがこの本、『「チベット問題」を読み解く』著者:大井功です。みなさんはどれほどチベット問題について知っているでしょうか?いや、どれほどチベットについて知っているでしょうか?おれが思うにみなさんは全然しらないことでしょう。もちろん知る機会に触れることがないのが原因でもあるわけですが。。。そしてたらどうしてその機会がない、もしくは少ないのか知っていますか?どうして今、チベット問題なのでしょう。個人的には世界のことについてもっともっとみんな知るべきだと思います。もちろん日本のこともですが。そんなときにこの本を読んでみてください。著者の方はおそらく大変な知識の量のもちぬしであります。そういった方の書く本はとてもおもしろくて考えさせられますね。

 内容は、チベット問題とは何かからはいり、チベット問題に絡む問題をわかりやすく明快に解き明かしていきます。みなさんはチベットが現在国でないことはご存知ですか?どうしてチベットの人たちが亡命してるかご存知ですか?そんな疑問にも答えられないでアジアの住民として納得ですか?読者は否応なしにチベット問題の関係者になります。この本を読んでもそんなの中国の内政の問題じゃん?とか、俺らには関係ないし!っていうやつは限りなくくずに近いです。最近人生で初めて?かわからんけど、人間のクズを見ました。みなさんをそれと一緒にはしたくありません。関係ないではすまされない時代がもうとっくに来ています。日本人の意識は平和ボケをしているので完全に遅れています。世界を知らなすぎます。海の孤島とか行ってられません。私達のすぐ隣には強靭な狂人達が住んでいます。いつどんなときに襲われるかわかりません。だからもっと敏感にアジア問題、ひいては世界の問題を知るべきです。あなたはある日突然、日本人をやめられますか?そんな覚悟はないはずです。でもチベットの人たちは中国によって強制的にその立場に置かれました。一元的に中国全体が悪いというわけではありません。そんな認識くらいしかチベット問題を知らないという方も是非この機会に読んでください。欧州の情勢は複雑怪奇みたいな言葉がありましたが、アジアの情勢も立派に複雑怪奇です。だからこそたくさんの視点を本から手に入れて、あなたができることをしましょう。知らないのは罪です。「知れない」ならまだしも「知ろうとしない」のはオバガチャンのやることです。おいらはこの本を読んでダライ・ラマ14世に会いたくなりました(ミーハーですみません)。ちなみにダライはモンゴル語で「大きな海」という意味で、ラマは師を表す敬称です。



「知識を増やさないことを恥だと思えるような社会作りを推進する会」7/3,2010

New york, I love you




おいらはもう一本の方であるオムニバス映画『New york, I love you』(監督多数)について書こうと思います。この映画はなんといっても豪華キャストをつかいまくってさらに使い捨てるというまことにニューヨーカーな感じの映画です。友達が言っていましたが、「この映画で監督は映画を作る練習をしてるんじゃないの?」という意見は同意はしませんが、あながち間違いでもないように思われます。なぜなら監督を務めた方のなかにはハリウッドの女優などの監督経験のない?少ない?方が散見されるからです。そして二時間くらいの映画の中に6も7も物語を入れるから映画としてはあんまりインパクトとかは感じられません(ところどころの物語はつながってたりします)。短い時間の中でいかにニューヨークの恋物語を理解させるか伝えるかが問題ですね。結果としてある意味成功、ある意味失敗(意味はありません)だった気がします。個人的には老人編が好きです。人としてはナタリーポートマンの顔が好きです。


 New york、そこは様々な人種さまざまな宗教、さまざまな人間が住む混沌としたリベラルなCityです。そこのCityで繰り広げられる恋ももちろんそれを反映し複雑で一筋縄ではいかないものばかりです。しかし、それを楽しむのもNewyorkerの心得といわんばかりに色んな恋が映し出されます。「よぉ。お前ら憶えとけよ。Newyorkはこんな町なんだぜ。」って言われてる感じです。でもそれでいいです。この映画はそれでいいのです。あぁNewyorkって刺激にあふれていておもしろそうな町だな、一度でいいから行ってみたいなと思えればこの映画はいいのです。だから『New york, I love you』なわけですな。そういう俺もあらゆる肉体関係を求めて今すぐNew yorkに旅に行きたい気分にさせられました。アメリカの中でもかなり人種の入り乱れる地域でかつアメリカ随一のリベラル場所で、かつアメリカの中でお金もちがたくさんすんでいるNew york。そんな町に行く前にこの映画で予行練習をしといたらいかがでしょうか。


追伸 パリ編もあります。上海編も上映予定です。

2010年6月22日火曜日

「死」はあるが、無い。


 早速、俺の大好きな意味深なタイトルを付けてみました。これは俺が考えた映画『私の中のあなた』における結論です。あんま時間をかけたくないので適当に書きます。

 まず内容。ある一人の少女が白血病であることを知った両親は途方にくれます。そんなとき医師からオフレコでとんでもない方法を聞きます。それはー白血病のドナーの名目で意図的に操作した赤ちゃんを作ることでーす。とんでもないことをこの両親は助けたい一心でしちゃいます。そんでもって生まれてきたのが「ドナーチャイルド」です。彼女の存在意義は姉を助けることです。なんともかなしや。しかし、彼女ももちろん普通の人間なので成長します。そして「考え」を持つようになるわけですね。そしてある日彼女は弁護士にこう相談しマース。「私の体を守るために、両親を訴えます。」。っておーい!ずいぶんおもいきった態度にでてなー。っていう感じですね。そんでもって両親というか自分のキャリアや人生を白血病の娘にささげてきたお母さんがぶち切れまーす。どうして?の連呼です。そんなこといってもーっと思うかもしれませんが、それほどお母さんはこの娘を愛しているのでーす。ある意味愛は盲目ですね。そんなこんなで過去を振り返ったりしながらストーリーが展開していきまして、ある真相が発覚しまーす。なかなか泣かせる意味深い真相です。真相が発覚してもうすごいことになるまーす。そんな感じの映画です。

 かなり適当に書いてみました。そんでもって感想はネタバレになるので見てない人は見ないでください。ひとつだけ言いますが、この映画普通におもしろいです。結構観ることをオススメする映画です。子役の女の子とか普通に好きです。「この子を娘にしたいよ宣言」に組み込まれました。リトルミオスサンシャインのときにはあんなだったのにいまではすっかり大人になっていました。ならなんで適当に書いたかといいますと、ショーシャンクの感想にめっちゃ時間をとられたからです。それでは感想。













 
 


 結局、お姉ちゃんは死にます。しかし、言い方はあれだけどここからが本当にこの作品の言いたい部分かと思います。つまり「死」はあるが無い。ですね。どんな意味かといいますと、「死」は確かにあるんだけどそれはほかの人にとってあるのであって死んだ本人には無いんですね。ちょっと哲学的だけどおもしろい。そしてほかの人にとって在る「死」も決して特別な何かではないんですね。「死」という事実があるだけなんですよ。んでもってその事実が人を悲しませたりするわけだけどそれもちょっと違うんだよね。だって「死」自体が何かなんてわからないわけだから。わからないことにかなしんだりできないでしょ。でもじゃあなにがあるのかっていったら「死んだ人」との記憶だったり思い出だったりするわけさ。つながりみたいなものだわね。それがつながりのある人の心に残るわけね。だからこれも「死」はあるけど無いってことなんだわね。ある死を認識してというか受け入れて、そういうことに気づくんだわね人ってものは。「死」は無い。ってことを認識する受け入れる。でも確かに愛しの娘は死んでいる。ここが難しい。俺にだってまったくわかんない。この文が何を言ってるのかもよくわかんない。でも「死」を扱ってるから仕方ない。誰にもわかんないからね。ってちょっと尊敬する「池田晶子」さん風に感想を書いてみましたが支離滅裂かもしれません。

奪えないもの


 スティーブン・キング原作の作品、『ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption』を鑑賞しました。監督はこの映画が初監督であるフランク・ダラボン。主演はティム・ロビンスとモーガン・フリーマンかな?この映画は第67回アカデミー賞で主要7部門にノミネートされましたが、同年の候補に『フォレスト・ガンプ 一期一会』『パルプ・フィクション』などの名作があり人々にはあまり注目されず、興行収入も赤字だったそうな。まぁ少なくともこのふたつよりはこの作品のほうが好きですね。スティーブン・キングの原作はよく映画化されていますが、なかなかはずさないですね。『スタンドバイミー』なんかもそうですが、原作がすばらしいだけに、内容もそれに伴うのでしょうか・・?
 
 前置きはこれくらいにして感想を書きます。ひとことで「素晴らしい」映画でした。まさに100本に1本の映画。見ている間にいつのまにか画面にかぶりついていました。正座していました。そのくらい一生懸命みました。そのくらい無駄なシーンがありませんでした。これが初監督なんてどんだけすげぇんだよ監督さん。。。俺ももし映画を作るとしたらこういう映画を是非作りたいです。この映画がどうしてここまで素晴らしくさらに不朽のものになりえたか、それは、テーマが不朽だからです。ハリウッド映画はなんていうかその場限りのもの。今の話題を映画にする感じ。それか現実ではありえないような設定とか。別にけなしてるわけじゃなくてそれはあくまでいい作品にはなれるものの不朽の名作にはなりえない側面があります。それはいつの時代も通じるテーマではないからです。しかし、ショーシャンクの空にがおそらく扱っているというか、この映画を見る人に伝えたいことって明確に普遍的なテーマな気がする。そのテーマは「希望」です。生まれてきてか一度も希望を描かない人間はおれの知る限りではいないと思います。それは「希望」は人間が生きる糧になるからです。人間から「希望」を抜いたら残るものは非常にさびしいものでしょう。ここでの希望はそんなに大それたものじゃなく、どんなことでも「こうあったらいいな」というもの。主人公の希望がそうであったように。人を絶望に陥れるのも「希望」だし、人を絶望から救うのも「希望」。この映画はそういうテーマを扱っています。主人公は何度も苦しい経験をし、普通の人なら死を選択してもおかしくないような体験もします。しかし彼は「希望」をもっていました、「希望」が彼を動かしそして、生かしたのです。「希望」を無くした人間の末路は「死」です。それは映画にも描かれています。それほどまでに「希望」は人間の根源にかかわるものなのですね。この映画を見ている最中なんでも希望を失いかけましたが、この映画は最後に「希望」をしっかり残してくれました。「希望」は人間から決して「奪えないもの」です。
 ここからは余談ですが、やっぱり悪いことをやる人は必ず報いを受けるね。それは必ず誰かを傷つけているからね。私利私欲のために生きているひとなんかだめだね。ていうかそれの何がおもしろいのかまったくわからない。刑務所に長年いて、しかも囚人を病院送りにしたり、裏で金儲けをしたり、一時の欲求を満たすためにアホみたいなことを続ける。まったく理解できないね。世の中にはそういう人間が多すぎる。彼らにあるのは「希望」ではなく、単なる「欲求」、それも低劣な。そんなことで人は豊かになれるわけがない。いや金銭的にも精神的にも豊かになれるだろうけど、その人自体の心(誰にも触れることのできない、でも人が必ず持っているもの)は豊かにならない。そこを豊かにすることなしに、本当の意味で豊かになることはありません。「俺は金で心が豊かになる」と本気で思ってるなら、今のその人のこころは豊かではありません。少なくとも俺の考える「豊かさ」ではありません。そこを勘違いしてはいけません。目の前にある「欲求」が人生を豊かにするのではありません。これがわからないから悪い事をしちゃうんだよなー。それともうひとつ、主人公の人柄というか人間性がこれまた人を惹きつけるんだわね。教養があって決していやみじゃなく、人のためなら危険をも犯す。人に「与える」ことを喜びにしている。でも決して人に希望を与えるだけじゃなくて、自分の希望も持っている。そういう人を決して世界は裏切らない。もちろん裏切ることもあるけど、最終的には裏切らない。「希望」を残す。主人公は本当に教養があってなんでもしってるんだよ。それが彼を魅力的にしている。それが彼に「希望」を与える。やはり教養の大切さが身にしみたね。そして、教養ある魅力的で心が豊かな彼には、良い友達ができる。彼にもわかるし、ほかのひとにもわかる。だからお互い深くつながるんだよね。友情も「希望」のひとつであるね。ていうか世の中「希望」に満ち溢れてるよ。戦争とかももちろん存在するけど。戦争の悲惨さを知らない俺が何知ったかぶってんだよって思うかもしれないけど。そう思わないと、生きていけないわ。そう思わないと、生きることの意味なんて絶対見つけられないわ。
 

 余談の方が長くなっちゃったけど、マコリングマが勧めてたようにこの映画は本当に素晴らしいものです。一度は見てみることをオススメします。そして、この映画を素晴らしいと思える心を常にもっていたいです。

2010年6月19日土曜日

エレクトリックアタック

 6月19日 4つの目で見守る生物多様性(in千代田区九段南)12:00~
 6月21日 共産党議員講演会(in中央大学)18:00~
 6月30日 就活論(内定者によるパネルディスカッション)(in中央大学)
 7月2日  元ソニー社員による講演会(in中央大学)
 7月3日,10日  模擬裁判公開(in中央大学)
 7月6日  就職ガイダンス(in中央大学)

って中大ばっかしだな。もっともっと外にアンテナ張っていかないと。。。ちなみに明日(今日)名画座に行くつもりです。

2010年6月17日木曜日

これぞジブリ!!


 昨日くらいにジブリ作品である『耳をすませば』を見ました!!!この作品の監督は宮崎駿さんではございません。近藤喜文さんでございます。ただアニメ映画における監督って何ぞやという疑問がいまだに頭を離れません。それは置いといて、さすがジブリですね。というか『耳をすませば』っていう作品は俺の求めるジブリそのままのジブリでした。最高ですね。夢あり、ファンタジーあり、青春あり、感動ありっていうもう王道が詰め込まれてます。また設定も突飛なというか別世界というわけではなく、完全に日本ある時代という設定なのでこれがまたよかったです。そしてそして驚くべきことに、この作品のモデルとなった場所が俺の住んでいる町の隣町である「聖蹟桜ヶ丘」なんですよねー!もう今度夏休みにでも行ってやろうかと思ってます。そして「丘の上にロータリーなんてあったんだー」って言いたいです。なんていうかジブリの絵って現実世界のものではないんだけど、どこか親しみを覚えてしまうんですよね。あぁこんなところがあるのかぁ。行ってみたいなぁっていう気持ちになれるんですよね。ジブリにはメランコリーでノスタルジックな感じがあります。これが結構ジブリに求めているものだったりしますね。だからタイトルにもあるとおり「これぞジブリ!!」なわけです。そして耳をすませばに登場する人物達がいいんですよねー。もちろん月島雫にはじまり、雫の親友、その親友の好きな男の子、そしてなんといっても天沢聖司ですよねー!!あいつめちゃくちゃかっけぇんだよなぁ。きざなんだけど、話してみるといいやつで、かっこいい夢なんかもってて、ひとりの女性を愛しちゃう、しかも実はかげながらずっと見てたなんて。。。あいつ俺。もうあいつを俺に、、、いや俺をあいつにしてやりたいです!天沢ぁあああ!まだ言いたいことはあるんですよねー。「カントリーロード」っていう曲。最高。あれを晴れの日または夕暮れどきに聞いていたら思わず歌うことまちがいなしですね。ていうか原付乗りながら口笛は吹くは歌うはで完全に変人ですわ。
 ひとつ気づいたというか感じたことがあるんですけど、ジブリの作品において「天気」って結構重要だと思うんですよね。快晴だったり、晴れてるけど雲がたくさんあったり、曇っていたり、どしゃぶりだったりっていう場面は主人公の心情を表していたり、映画自体が今どういう展開なのかってことを表してたりしてると思うんですよー。完全な想像ですけど。そして何よりもジブリの「晴れ」好きです。俺の理想の晴れの日はジブリの中によくでてきます。わかってますよねその辺も。おれぁジブリがあるから晴れが好きなのかもしれません。
 ということでジブリの魅力は10%も伝えることはできなかったですが、ジブリ大好きです。(この大好きっていうのは世間にはびこる「私ジブリ大好きー」っていう女の子の大好きではありません。そして別に大好きだから全部8回くらい見たし!っていうほどのマニアでもありません。そしてジブリファンならあそこは知ってるでしょーっとかいうかぶれでもありません。今のところはですけどね。

2010年6月6日日曜日

電波を発信

自分が参加しようとおもとるおもしろそうなイベントをどんどん書いていきます。気になったら詳しいこと教えるから聞いてね。

6月8日 企業の仕事について語る講座(in 中央大学)
6月9日 憲法9条関係の映画鑑賞会(同上)
     中国ビジネスの最前線(同上)
6月10日 霞ヶ関特別講座(in 東京大学本郷キャンパス)
6月11日 竹原さん(ボクシング)のトークショー(in 中央大学)
6月19日 社会人との立食パーティー(これは行けなそう)

大学生活への疑問(5)


 この企画も終に第五弾まできてしまいました。もうそろそろ自分なりに落ち着きたいところにやっときました。大学生活への疑問を払拭いたしました。というか元々いろんなこと悩んで自分で自分を苦しめてたのかもしれませんね。悩んでるときこそ何かアクションを起こすことでそれが解決することを知りました。それでは本の紹介に参ります。今回の本『大学生の学び・入門 大学の勉強は役に立つ!』著者:溝上慎一でございます。ぶっちゃけタイトルを見る限りでは今までの本とあまり違わないように思いますが、そこはあなどるなかれ!なかなかの良書だと思いますぜ。あと、この本のレイアウトも横書き左読み(?)で今までの本とは違って読みにくそうな印象がありました。しかし、そこはあなどるなかれ!なかなかの良書だと思いますぜ。一見つまらなそうな本もとりあえず買っておくといいことがあるもんですね^^

 まず最もいままでの本と違う点は大学に関する記述というかなんていうかわからんけどが客観的であること。これまでの本はかなり著者の体験や考えが色濃く反映されていたように思いますが、この本はあくまでも客観的であり、考えを述べる際に様々な人やデータに根拠を求めています。だから誰が読んでも客観的に大学について、強いては大学の勉強について知ることができます。
 始めの部分の内容。今(?)の大学の雰囲気はあくまでやりたいことは自然と訪れるからゆっくりすごしていればいいよ的なオーラにあふれています。そこに筆者はメスをいれます。そんなことしていたら多くのものは、将来のことや自分のやりたいことなど何もわからないまま就職活動や卒業を迎えることになるに違いない!その上で、大切なことは常に将来やりたいことを考えつづけることだ。今の自分のレベルで考えられる将来像を描いているとふとしたときに何か得られることがあるかもしれない。そして、将来やりたいことは崩れる。だって今の自分の知識や考えでしたか考えられないんだから、そりゃ知識を増やして現実を知るようになってくれば将来像も崩れるわなぁ。でも崩れたらまた描き直せばいいんです。だって今の君は前より成長してもっと色んな考えができるようになってるんだから。将来を考える力はそう簡単に身につくものではありません。ですから長い時間をかけて考えるのです。今からでも遅くありませんやりましょう。そしてここで重要なことが「勉強すること」です。ここが重要なんです。将来のことをいくら思い描いたってそれが実と乖離していれば意味がありません。また自分の目指す将来像に向けて努力をすることは将来を考える力とはまた別の力です。ですから行動しなければいけません。筆者がおっしゃるには今の世の中では「将来やりたいことを考えよう」キャンペーンが実施されていて、みんな考えるんだけど抽象的なままで、じゃあどうしたらなりたい自分になれるのかっていう具体的な行動的な示唆がない。だから認識的な次元と行動的な次元のバランスをとることが大切だよって言ってます。具代的な行動とはただ単にまじめに授業に出席して、そこで何を学んでいるか、何を学びたいかなどの自覚もなく黙々と勉強することではありません。受身な学生が増えている今日ですが、自分から積極的に学びにいかないとダメです。そしてなにを学ぶかというと「正解のない問いを考える」ことを学ぶのです。資格の勉強をすることが「学問する」ことではありません。
 てな勢いでどんどん進んでいきます。この後には大学での勉強はどうして役に立つのか、大学での勉強はどう社会につながるのかを述べていきます。ここの内容がかなりおもしろいと思うので読んでみることをオススメしますぜ!あまりまとめるのがうまくないからおもしろくないように見えるかもしれないけど、おもしろいからね!!


 ここにおもしろかったを記しておきます。
  ・社会との関係のなかから学問を捉える
  ・大学の授業から出発するのではなく、社会という目線から勉強が出発する。が、大学の授業に戻る。
  ・自分の学問がどう社会と関係するかは、社会に出てみなければわからない。
  ・社会との関係を知れば、勉強がおもしろくなる。
  ・学問することは、単に机に向かって勉強することではありません。
  ・持っている知識を活かす能力も必要
  ・自分の意見を他者に知ってもらう。
  ・そして、意見を交換し、確かめ合い、時には戦わせる。
  

勉強しなきゃ!!
お互いに刺激しあわなきゃ!相手を挑発するくらい刺激しなきゃ!馴れ合ってるのは友達じゃありません。僕はそうありたいし、君達にもそうあって欲しいと願います。



      いい本は多くの気づきがある本。そして行動に移させる本。

大学生活への疑問(4)


 『これからを生き抜くために大学時代にすべきこと』著者:許 光俊 を読みました。

 この本はほんとに大学生活の全般を扱っています。大学での勉強、勉強の仕方、レポートの出し方、大学のテスト対策、指導教授の選び方、大学生なら読んでおくべき本、留学について、人間関係について、サークルについて、恋愛について、アルバイトについて、就職について、これからについて、、、とまぁ至れり尽くせりでした。大学に入ったばかりで右も左もわかんないです(涙)くらいの学生が読むようなものでした。そこまでアドバイスする必要ありますか?くらいいろいろ書いてありました。でも大学生になったときって不安だらけでどうしたらいいかわからないから、この手の本を参考にしてもいいのかもしれないね。でも、やっぱり大学生活は自分で切り開いていくものだし、他人とは絶対違う大学生活を送るんだからそこは考えようだとは思う。大学生活を一般化することなんて無理だよ。詳しい内容については他の本でも良く見かけるような内容だったと思います。アルバイトはなるべくしないほうがいいよとか、本は借りずに買おうとか、すごい人物と出会おうとか、出会いを大切にしようとか、そういった類のことが書いてあります。その中でもほかの本とは違うことはかなり大学を大切にしていますね。つまらない講義も考え方ひとつでおもしろくなるとかはその例だと思いますが、ほかの本だとつまらない授業には出るな!って書いてあるのが多い。これに関しては人それぞれの考え方に依るところが大きいと思います。やはり大学教授がこの手の本を書くとどうしても大学側を支援したい気持ちになるのではないでしょうか?その点浅羽通明さんの『大学で何を学ぶか』は内容は乱暴ですが、おもしろい本だと思います。それとこの本には先ほども言ったように恋愛について書いてあるのがなかなかおもしろいですね。好きな相手とは付き合わないとか年上の女性がいいとか、いい相手とはとか、振られるのも経験のうちとか読んでいると歯がゆくなるようなことも書いてあります。でも恋愛ってそれほど重要なことなんだろうなぁとも思いますな。恋が人を大きく変えることもあるでしょう。この点に関してはDTの俺にはちょっとよくわかりません。大学生は本当に恋愛が好きですが、なぜだか理由がわからないのが正直なところです。はっきりいって高校までの恋愛に経済力とセックスとかを足したようなものにしか見えません。こいつはいい恋愛してるなっていうのはあんまり見ませんね。まぁ何がいい恋愛かもわかりませんが?とまぁ自虐はここまでにしてこの本の総括に入りたいと思います。この本は俺の疑問に答えるようなものではなかったですが、指南書的なものとしてピチピチの一年生に勧めるのもいいかもしれません。最後に気になった言葉を引用して終わります。
  ・「人間誰しも嫉妬することはあるだろう。でも、あえてその気持ちを抑え、いっしょに喜んでくれる人を友達にすべきなのである。」
  ・「自己主張しつつも、相手を尊重する」
  ・「やりたいことではなく、やれることを選ぶ」⇒これ良いね。
  ・「あなたにとってもっとも重要なこととは、あなたが自分で発見したことなのだ(自分で発見できなかったことは、たぶんあなたにとってそれほど重要ではないのだ)。」
  ・「大きくても小さくても、失敗の中にこそあなたの本質、本性が表れるのだ。」

2010年6月3日木曜日

大学生活への疑問(3)


 本日は第3弾です。『頭のいい大学四年間の生き方』です。あの受験の神様と呼ばれる和田秀樹さんの本でございます。頭のいい和田さんが書いた頭のいい大学四年間の生き方ということで内容は勉強重視の内容となっております。どうして勉強するのか、なんで勉強は大切か、何を勉強するのか、勉強をどう生かすのか、社会における勉強とはみたいなことが書いてあります。ただ、和田さんご本人は学生時代のころとにかく映画を作りたくてバイトして映画作ってついでに借金も作ってそれをバイト代で返す。という私達が考える勉強とは程遠い勉強をしていますねw でもそこはやはりさすが和田さん!東大医学部のコネか信頼だか知らないけどやってたバイトの時給はかなり高かったそうです。まぁそこはどうでもいいとして、「勉強」が大学生活においてどのような意味を持っているかはそれぞれ自分の考えを持っていた方がいいと思います。この本はなんていうかもう和田本って感じであんまりおもしろくなかったです。ちなみに和田さんは今の勉強しない多くの大学生を批判するわけではなく、この原因となった大学側を批判しております。わたいも大学には相当なっとくいっていませんが、勉強が大切かどうかなんて個人個人で心から気づかなきゃいけない問題だと思うので、個人的には大学生側に疑問を投げかけたい気持ちの方が強いです。今の?大学生には大学とは何かってことがわかっていないのだと思います。それは俺も同じですが、大学とは何か、どうして大学で勉強するのか、それが将来どのように役に立つのか考えないとなんのために大学に行ってるのかわからんでしょ!大学ってものすごい特殊な場所だけど、活かそうとおもえばかなりおもしろい場所になっていくはずだと思うよ?

2010年6月2日水曜日

大学生活への疑問(2)


 ふと思ったけど、ノートパソコンあったらブログとか超更新するんだけど?


 なんかの本で読んだけど「書を捨て街に出よう」って良い言葉だね。これってあってたっけなー・・・


 どうでもいいとして。第2弾です。今回は『就職難民にならないための大学生活30のルール』のご紹介です。このブログでも紹介した、常見陽平さんの著書です。まず初めに言っておきますがこの本を読んだからといって就職難民にならないとは限りません。というかこの本からそういった熱は伝わってきません。こういった本って作者の体験に基づいて書かれてるからその人の気持ちに共感できるかっていうのも大事な問題なんだよねー。この本はこの手の本には良く書いてあることが書いてありました。でも少し違っているのがバイトを奨励していることですね。この作者は人脈をおおきな財産と捉えているので人脈が増えることならなんでも重要と考えています。大学時代にできる友達は一生ものだということもおっしゃっていました。裏を返せば一生付き合っていけるような友達を探せってことでしょうね。人脈ということばからはかけ離れた僕にとってはなんとも厳しいお言葉ですね。ちなみにどんくらい著者が人脈を重要と考えているかというと、学生からメールがくれば必ず会いますってくらいです。講演会でそうおっしゃっていました。飯も必ずおごってくれるそうです。それと熱中できることっていうよりも「趣味」の大切さが書いてあるのも少し違う点な気がしました。しかしこの本も例の通りにいかに大学生活で熱中できるものを持つかそれがいかに大切かが書かれています。もちろん作者もなにかに熱中した人のひとりです。彼は勉強にも遊びにも夢中だったそうです。それだけの気持ちがあったということでしょう。元々のバイタリティーとかの問題ではありません。「気持ち」の問題です。それと本を読んでいて良いサークルに入らなかったことも悔やまれましたねー。サークルなんか糞くらいだって思ってましたが、入ったサークルが糞だったか、そもそもおれ自身が糞だったかのどちらかだと思います。大学生活を実りあるものにするかどうかなんて99%自分の責任だと思います。あなたが動くかどうかです。あなたが思うかどうかです。「あなたが変われば世界が変わる」これも良い言葉ですね。それとこの本では人気企業に内定した学生にインタビューをして大学生活のレポートを載せていますが、これもほとんどが高学歴集団です。けっ!!でも学歴が関係ないことはおそらくみんなもわかっていることだと思います。これからは学歴ではなく大学で何をして何を得たかが問われる時代です。みんなもそこんとこよろしく。

ここでひとつ!!「忙しいっていいね^^」忙しさとは無縁の私からのメッセージでした。

以上が第2弾です。あんまりうまくかけなかったな。反省。


追記:常に外界にアンテナをはっておくことも重要だと書いてありました。よって俺もアンテナを張り巡らせたいと思います。なんかおもしろそうなことあったらいつでも俺にメールくれよな??これで俺はアンテナを日本(2本)増やしました。どんな微弱な電波でもキャッチしたいです。

大学生活への疑問(1)


めんどくさくなったのでアマゾンリンクは一時中断します。

 ひさしぶりの投稿になりますね。それもそのはず!完全に死んでいたからです。どうして死んでいたかというとータイトルにあるとおり大学生活が疑問でしかたなかったからです。なんなんだこれって感じでした。1年生でも同じことを思いました。2年生でも同じことを思いました。3年生でも同じことを思いました。つまり2年間同じことをずっと考えてきました。しかしあまり行動には移しませんでした。まぁ疑問に思って留学とかいったわけだけど、帰ってきたらまたその疑問の生活に逆戻りしていました。完全に周りの環境に流されていました。というより結局俺の意思が弱かったです。そんでもって3年生の6月に奮起しようと思いました。ゆえにまったく行動には移していませんが、大学生活とはどんなものだろうシリーズの本をこれから7冊くらい続けて投稿していきたいと思います。

 ということで第1弾は『現役大学生による 学問以外のススメ』を読みました。面白かったです。この本は大学の校外で大学生活を多いに楽しんでいる人たちを大学に入学する前から入学してどう思ったか、どうしてそれに熱中するようになったのか、そこからどんなことが学びとれたのかを紹介していきます。これに出てくるひとはいい大学を出てす。俺こういう本嫌いです。なぜかって結局いい大学の人たちじゃんって思っちゃうからです。でもこの人たちは留年とか浪人とかしまくってます。まぁそれだからあんないい大学いけたんだとかじゃなくて、あせってないんだよねいい意味で。なんていうかいつからでもやれるぞっていう気持ちが伝わってくる。何浪しても留年しても自分の目の前に熱中できることがあるからそれに身をささげてるんですよね。もう俺なんかとは大違いです。俺なんかは浪人も留年もビビッてできません。そんなことできません。でもそんなことできないのはおそらく熱中できるものがないからでしょう。これになら大学の授業なんかサボったって熱中してやるぞってものがないからだと思います。もちろん大学の授業に熱中する場合もあるでしょう。そのくらいものすごい先生がいればの話ですがね。。。おれには大学に熱中するものはありません。好きな授業は哲学の授業くらいです。ほかの授業なんて単位とるためにでてます。これ学んだら英文科っぽいなって授業ばっかりです。糞くらいです。そんな自分に疑問を覚えます。もとをたどると大学に入る理由がなかったからこうなったのでしょう。それか入る理由がなくても入ってからいる意味を見出せるようなことに出会おうとしなかったからでしょう。残念ですね。でも「物事始めるのに遅いことはない」って言いますから今からでも大丈夫です。俺はそう信じてます。いいことばが本の中に載っていました。「やりたいことなんて、そう簡単に見つかるわけはない。いろんな人と出会って、いろんな経験をして、やっと少しずつ見えてくる」。いい言葉であり、自分に向けての叱咤激励であります。何を「俺にはやりたいことがない」なんて言い続けてるんだと自分に言いたいですね。そのための行動を起こしたのかと。
この本を見て気持ちを熱くしてください。熱い気持ちの人に触れてその熱をもらってください。そしてその熱を人にも与えてあげられるような人物になってください。

 あなたは「大学には何がありますか?」と問われてうまく答えられますか?

以上が第1弾でしたーーーー!!!!!

2010年5月26日水曜日

読書について


 孝が“適当に”選んだ本を読みました。ショーペンハウワーの著書『読書について 他二編』です。こんな本今には絶対にないだろうなっていう本でおもしろかったです。それとこれを読んだときに「孝の野郎俺への嫌味でこの本を読ませたのか?」と考えてしまいました。それは内容を紹介すればわかると思います。

 内容はいたって単純。内容のほとんどが19世紀のドイツにおける文学や言語使用の劣化をするどく指摘してそれを憂いでいるというものです。100ページくらい現代(19世紀)の作家や新聞を書く人、文筆家などの悪口です。あいつらのせいで今の文学はひどい状況じゃないか!とキレまくりです。それに対してどうしたらその状況を改善できるかという提言もちょこちょこなされています。現代の本を書く多くのひとは「お金のために」「名誉のために」「自分の能力を誇示するために」何より「本を書くために」本を書いていると指摘しています。だから現代に発行されているもの(新書)は読むに値しない。いやむしろ時間とお金を奪うだけで読者にはなんの益もないと述べています。それらの人々の比較として思想家を上げています。彼らは三文文筆家とは違って自分の「思考」を簡潔明瞭に誰にでもわかるように正しい言語の使いかたをもって書いているので彼らの本は読むに値するすばらしいものだと述べています。よい本とは作者の「思考」が書かれている本だとしています。対してダメな本は、難しい表現や雑な言語使用で結局なにが言いたいのかわからず読者を闇に吸い込むようなものであるとしています。作者は「思考」することがないよりも大事だと述べています。自分で考えなければダメだって言ってます。だから今の新書などを一日に多読する人は他人の思考をなぞるだけで自分で考えようとしないので「読書はしすぎでもダメ」と述べているわけです。でも古人には多くの優れた人物達がいるのでそういう人たちの本を読むなら自らの思考も喚起されるのでよいとしています。でもやっぱり読むだけではなく「自分で考える」作業がなによりも大事なものだとしつこいくらい述べています。このショーペンハウワーの指摘は現在に通じるものがあるのではないでしょうか・・・
本当はもっといいこと書いてありますが伝え切れません。なによりもう覚えてません。

最近の「若者」


 若者の理解者(と言われているらしい)である香山リカさんの著書『私は若者が嫌いだ!』を読ませていただきました。なぜならわたしも俗に言う「最近の若者」が嫌いだからです。この筆者は大学の教授もやっていますが、精神科医として多くの「若者」を診断してきたという。だからこそこの人は理解者として知られているわけだが、どうやら著者は「若者」の悩みや考えなどを聞いているうちに「若者」が嫌いになってしまったらしい。その理由について「最近の若者」の傾向を踏まえて論じている。ちなみにこの香山リカさんは大のゲーム好きらしい。だから若者の気持ちもわからなくはないとかなんとか。。。

 内容はどうしてそういった「最近の若者」が生まれたのかを経済格差の面や教育格差の面などから解析している。これはなかなかおもしろいと思う。また、若者を襲う新型のうつ病や若者による突発的な犯罪などにも言及されているし、最近の若者に見られる想像力の欠如などの傾向にも触れられている。ちなみに香山さんが嫌いな若者10か条をおげておく。
 ①すぐ音を上げて逃げる若者
 ②居場所がない、とさまよいすぎる若者
 ③「キレた」「オチた」「真っ白になった」と言えば許されると思う若者
 ④大人を信頼しすぎる若者
 ⑤大人に甘えすぎる若者
 ⑥学力がない、知識がないのに開き直っている若者
 ⑦自信がありすぎたり、なさすぎたりする若者
 ⑧自分のことしか考えられない若者
 ⑨他人に厳しすぎる若者
 ⑩簡単に傷つきすぎる若者


 まぁびっくりした!なぜなら「最近の若者」の特徴に意外と多くあてはまってしまったからである。これはかなりショックだったなー。俺が大嫌いな「最近の若者」に自分が近いと思うとかなり残念。確かにかなり人間的に「弱い」ような気もするけど・・・。俺はあいつらとは一線を画しているぞって思ってたんだけどな。。。まぁそれはどうでもいいとしてこの「若者」を生んだ原因は何かと考えるかというと時代と大人たちの責任であると思う(この責任をおしつけるのも若者の特徴)。ゆとり教育なんか関係ないと思います。ていうか俺の周りにこいつあきらかに「ゆとり教育」だなーってやつひとりくらいしかいないし。俺がゆとってるからかもしれないけどみんなそれなりに甘えずに一生懸命に生きてると思うけどなー・・・。それなりに自立もしてると思うし。しかも「ゆとり教育」を実施してフィンランドなんかいまや世界で第1位の学力の国だからね。全然関係ないさ。インターネット関係の弊害については否定できない点が多いきがするなー。でもそれは「最近の若者」に限らず多くの人に弊害を及ぼしていると思うけどねー。こうやってブログを書いている俺だってものすごい害を受けているかもしれないし。しっくりくるのが今の若者は「お客様感覚」っていうのはだったな。これはうなずける。俺も思い当たる節があるし。なんでもかんでもしてもらえると思ってるからなー。全然自分からは行動しない。行動したとしてもずいぶん遅い。多くの条件が与えられてからしか行動しないとかねー。与えられすぎたんだろーな。親の責任も大きいと思うよやっぱり。モンスターペアレンツ死ね!(すぐ死ねとか言っちゃう若者)その点うちの母親は普通のペアレンツより若干過保護なくらいですんだからよかったものの。でも俺もかなり人に甘えてると思うなー。その点一人暮らしは俺にとってかなり重要なことだと思うわけ。いつまでも甘える、与えられる環境がそばにあるとやっぱり人間弱くなっちまうよ。それにしても生まれた環境によって人生が左右されるなんてこれはどうにかしなきゃいけないよね。虐待とかネグレクトの問題が最近話題になってるしね・・・。想像力がないっていうのもわかる気がするなー。やっぱり人の痛みとかわからないから人を傷つけちゃうんだろうし、これをしたら自分がどうなるんだろーっていう想像力がなきゃリストカットとか犯罪を犯したりとかしちゃうんだろうな。怖い怖い。あと、あたいが思うのは礼儀のできていない若者が多いと思うなー。大人にも多いのが原因でもあると思うけど親がしっかり教えてあげないとだめだよ。礼儀とかってできてないとダメでしょ。そういうところでしょ人が見るのは。俺自分自身あんまり礼儀正しい方だとは思わないけど、それにしてもなぁ。目に余る行動をとるやつ多いと思うよ。それと最後に「自分の感情とかをすぐブログとかに書いちゃう若者」も増えているとかw

 最近、うまくまとまらんなぁ・・・

2010年5月22日土曜日

2010年映像の旅


 「この映画を見終わった後人々はひとつの旅の終わりを体験します。」


 映画の宣伝をしてみました。スタンリー・キューブリック監督の約40年前に作られた名作『2001年宇宙の旅』を観賞いたしました。SWATにオススメされたからでありますがこの映画なんていうか映画なのかわかりませんでした。映画というにはなかなか異質なものだったと思います。キューブリックさんの作品は初めてなのでわかりませんが、こんな映画ばっかり作っているとしたらある意味でこの人天才だと思います。この映画は小説もあるそうですが、小説を読んで内容を補完するようなことはあまり好きではないのでやっぱり想像するのが一番だと思います。っていうくらいだからこの映画は相当想像の部分に拠るのではないかと思いますね。まず言葉少ないw ていうか映像で勝負してくる。ガンガン押してくる。もう「感じろ!」っと映像に言われているような気がしました。内容を紹介してしまうとどうしてもネタバレ的になってしまうと思うのでやめときます。ひとつだけ内容を言えるとすれば最初の1分間くらい真っ暗です。これだけだな。この映画ってSFホラー的なことなの?もう全篇をとおして怖いよこれ。音楽とか聴きなれているやつだからあれだけど、全然音が後ろにないんだもの。人の息遣いとかばっか。なんていうか完全に感覚で映画作ってるなっていうのがわかった。でも、技術ももちろんすごいと思う。40年も前の映画なのになんていうかすごい。当時の技術なんて相当拙いものだったと思うけどそれを感じさせない。それと背景にはキリスト教的なテーマもあるのかなとも感じたなー。だめだ!あんまりうまく説明できねーな!とにかくひとつだけ!「猿は物を使うことを覚えた・・・」

『14からの哲学』


 どうゆうタイトルにしようか何度も考えましたがどのタイトルもしっくりこなかったので本のタイトルをそのままタイトルにしました。ということで今回は池田晶子さんの著作『14歳からの哲学』を読ませていただきました。どうやって紹介したらいいかわかりません。何を言っても虚しく響いてしまいそうだからです。この本はそのくらい深くて普遍的なテーマを扱っています。でもこの本を読まずして生きていくのは本当にもったいないと思います。はっきり言って内容は理解できませんでした、ていうかできるわけない。そしてもうひとつはっきりしていることはこの本は100冊に1冊の本です。まだ本を100冊読んではいませんがわかってしましました。あと100冊本を読まないとこれほどの本には出会えない気がします。謎だらけの紹介でしたが、この本自体が謎だからそれもしかたなし。





  とにかく読んで。

訂正とお詫び

 えーっと。読者を増やそう計画を廃止しました。勝手にです。でも今のところ揺らぎません。OB・OG訪問計画今のところ保留にしました。別にびびってるわけじゃありません。もう少し考えることがあるなっと思ったからであります。以上が訂正です。ここにお詫び申し上げます。私の不徳と致すところです。今後もこうした自分勝手な行動が目立つと思われますが人を愛する気持ちで見守ってくださるようお願い申し上げる所存です。このたびは大変しつれいいたしました。

2010年5月19日水曜日

思考の蛇口

 どうせなに書いてもいまのところ君達ふたり(SWAT&孝)しか見ないんだからこのブログを思考の蛇口として使わせてもらうよ。とにかく書きたいこと書くから最初の方だけ見てあとはお気に召すままにどうぞ。それと思いつきでどんどん書いてるから収拾つかないよ。自分の考えてることって自分の中に閉じ込めていてもだめだんだよ。誰かと共有しなきゃ!蛇口の水みたいにだしてあげなきゃ。

読者を増やそう!
 やっぱりコメント最低毎回5件くらい欲しくないか?そこでやっぱり俺達だれもほかの人の読者になってないじゃない?だからおれらの読者も増えないんだと思うんだよねー。ツイッターもフォローして初めてフォーローされ始めるみたいなとこあるし。そこで一日ひとりずつでいいから誰かの読者になるのなんかどう?おれ自身続く気はしないけどそうしていけば三人でやれば一ヶ月で90人だぜ?そうすればたとえばSWATが読者になった人におもしろそうな人がいればその人の読者になればいいわけでしょ?そうすることによって芋ずる式に増えていくんじゃね?どうよ!

OB・OG訪問(というか就職活動関連)
 やっぱりシュウカツって協力必要じゃない?だから俺ら三人で情報を共有しあうのが非常に効率的ですばらしい考えだとおもうんだよね。人数って増やしすぎると結局情報の信憑性とか薄れていくしさ。たとえば題名にもあるとおりある会社のOB・OG訪問したとするじゃない?そのときにどう感じたかとかの情報を三人で共有し合えば自分が3人いるみたいなもんじゃない!もちろん行きたい会社も違えば、それぞれの感じ方だって違うだろうけどどうせ自分ひとりだったらいけない会社とかも出てくるわけだしさ!というか何よりも俺友達いないし?ここが肝だよね。でも別にいまさら友達増やしても信頼関係のかけらも築けないでしょ。ていうか築こうと俺が思わないだけだけど。ていうかOB・OG訪問っておもしろそうじゃね?

「大学生の自己分析」に対する自分なりの分析 
 えーっと俺とSWATは基本大学生の自己分析大嫌いだけど。まぁSWATがどう考えてるかは完全に推し量ることはできないけど。冷静に考えてみるといろいろ馬鹿にもできないんじゃないかと思えてきた今日この頃です。
  1.まず、シュウカツがなければどうせ自己分析もしねーよあいつら(大学生一般)。
  2.シュウカツのための自己分析じゃだめなのは承知だけど、シュウカツという視点が加わることでまた違った自己分析ができるのでは?
  3.シュウカツにおける自己分析がなければ本気で自分のことについて考えてみようなんて考えないかも
  4.自己分析して自分を知ることって大事だよね。
  5.あいつらは他人にお願いして「自己分析」を第三者目線からやろうとする。これをめっちゃばかにしてたけど、最近は心を入れ替えてそれもありじゃないかと本の影響を受けて思い始めた。やっぱり相手のことを本当に見てあげてないと相手の分析なんかできないよね?それによって相手のことをもう一度見直す機会ができると思うんだよ。身近にいる人ほど、気づいてない部分が見つかるかもしれないよ?恥ずかしいけどそういうのって必要。というか思ったし、母親にも指摘されたけど、俺本に影響されすぎ。
  6.アイデンティティーの確立?みたいなー?
  7.あいつらは自己分析に終わりがくると思ってるから怖い。あるシュウカツ情報誌に「秋までには自己分析を終わらせておこう!いぇい!」みたいなこと書いてありました。吐き気がしました。

「本」とは  
  1.他者と自分との比較。人の考えを読み自分を知る
  2.広く物事を知る。俯瞰的な視点を身につける。
  3.人の考えを知る。自分はこう思うけど、違うふうに考える人もいるだー!ってな感じ。
  4.単に事実を知る。自分の知らなかったことをしるのって幸せ。
  5.自分の興味を知る。最近、孝に言われて気づいたけど人間ってどうしても自分の「好きな」本を読んじゃうと思うんだよねー。もちろん興味の無いことも読まないとだめだよ?
  6.本を読むことって勉強と呼べるの?それともそこから学んだことを確かめたり体験したりすることが勉強なの?でも何しても勉強とも言えるよね
  7.その世界に入りこむ。疑似体験するよね。想像力を喚起されるよね
  8.上を受けて。想像力の発達?
  9.何か思いつく?


 今後もこういうことやっていくからよろしく!絶対コメントしてくれなきゃやだからね。

2010年5月18日火曜日

講演会in 中央大学

 今日は「常見陽平」さんが中央大学にきて講演をするというのを聞いて聴きに行きました。常見さんといえば「就活のバカヤロー」などの著書で有名な方だそうです。今日初めて知りました。そこでの内容を覚えている限り書きたいです。ちなみに今回は就職活動関連の講演でした。そしてちなみにこの人は日本の若者の底力を証明すべく日々講演などをなせっている、今はどっかの会社の社長です。詳しくはhttp://www.yo-hey.com/

 常見さんの主張
  ・何かに夢中になろうぜ大学生
  ・ひとつのことをやりとげたやつはすごい
  ・色んなことに挑戦してこうぜ大学生!
  ・失敗とか恐れないで。むしろ失敗するくらいじゃなきゃ人は強くならんよ
  ・自分を変えるきっかけに出会う
  ・友達を増やす。付き合いを大切にする。その努力をする。
  ・「やりたいこと」だけで仕事を選ぶな。働きやすさとか自分にあってるとかその他の要素をあるぞえ
  ・いろんな人に会え!会いたくない人にも会え!むしろ自分とはまったく違った考えの人こそ会え!
  ・(中大生へ)都会に行きましょう。君達は遅れています。
  ・常になんかしてようぜ。
  ・未来を見る視点大切だけど、その前に目の前にあることに一生懸命になれや!
  ・(就職活動において)会社をもっととことん調べようぜ!自分の体で確かめなきゃ!情報にだまされるな!
  ・自分を変えるきっかけと出会おう!
  ・ポジティブに生きよう!
  ・


 もっといっぱい色んなこと言ってたけど忘れました。。。なんのために講演会行ったんだ!って感じですけどそれでもおもしろかったので満足です。本当はメモとるくらいのことはすべきだったのでしょうが、なんかメモを取っていたらほかの学生と同じでダサイからやだな、俺は話を真剣に聞きにきたんだ!という意味不明な意気込みによってその気持ちはどこかに飛んでいきました。今度何かの講演会に行く際はひとつでもおもしろい考えを見つけようとここに誓います。それと「常見さんは大学生にどのようなことを勉強して欲しいですか?また、勉強から何を得てほしいですか?」という感じに質問したところ。「自分の好きなことは徹底的に勉強してほしいし、好きなことだけでなく興味のないこともあわせて勉強してほしい。また、勉強の方法を学んで欲しい。勉強を通して、「考え抜く力」と「あきらめない力」を身につけて欲しい」みたいなことおっしゃってたような気がします。質問することで頭がいっぱいで全然なにを言われたか覚えてません。いつのまにか質問することが目標になってました。反省します。ちなみに質問するさいにいきなり「ツルミさん今日は貴重なお話ありがとうございました」とカミカミで言ってしまいました。当然のように「ツネミです」と突っ込まれました。反省します。
 内容としましては今まで読んだ本と似たようなことを確認するようなことでした。内容より常見さんがどういったことをどうのようなやり方で1時間以上の講演を持たすのかに興味津々でした。この方は話す内容はおもしろいし結構引き込まれるのですが、まずサ行がいえない弱点に加えまして、しゃべるのが速い、受け狙いがいまいちという印象も残りました。でも1時間以上も生徒ひきつけるだけの人生経験と話し方、雰囲気には頭が下がります。おもしろい人ほどたくさんのことを経験しているのですね。あたいも本を読むことはもちろん何かほかのことに挑戦してみようかしらという気持ちになりました。

御都合主義国家アメリカ


 『ネイティブ・アメリカン ―先住民社会の現在』 著者:鎌田遵  を読ませていただいたでござる。適当に書きたいと思います。

 内容。題名を見てもわかるとおり現在のアメリカ合衆国を主に生息地域としていた「インディアン」つまりネイティブ・アメリカン(以後:インディアン)の歴史と現在が書かれております。インディアンは現在アメリカに約250万人住んでおります。これは人口のわずか1%にも届きません。部族もものすごい数があります。その中には「部族」としてアメリカ政府に認められていない部族も存在します。その昔、コロンブスの野郎が1492年にアメリカ大陸を発見して際は80万人~1800万人いたとされています。資料があまり残っていないので諸説あるわけでございます。そして居住区は「居留地」という場所に限られております。これは連邦の憲法にもさだめられております。先住民族であるインディアンの居住区が「限られている」わけあります。この時点でかなり心痛い内容ではございます。どうして先住民族いうならば彼らの国でもあったアメリカで彼らはこのような仕打ちにあっているのでしょうか。。それはもちろん歴史をさかのぼれば見えてきます。当然ながら侵略者たちによるものです。アメリカ大陸を発見されて以来インディアンの住む土地は次々と奪われていきました。今の「アメリカ人」が住むためにです。それだけではありません。「西部開拓」とかぬかして自分たちの金などに対する欲求などで次々と立ち退きを拒否するインディアンたちを殺していきました。抵抗するインディアンは「野蛮」な存在としてどんどん殺されました。そしてインディアンの住む場所を辺境に定めました。今のインディアンが住む「居留地」はほとんどが自分たちの故郷の場所ではありません。これでは文化を守っていこうとかそういう問題ではありません。彼らのアイデンティティーは奪われたのです。こうして先住民族であるインディアンは厳しい環境に置かれました。西部劇の映画に出てくるインディアンは「白人」を襲う野蛮な存在として描かれております。そしてそれを倒していく「白人」が英雄です。これほどまでの御都合主義があるでしょうか。そんな厳しい状況のなかインディアン達はあえいでおります。もちろん差別のために仕事などありません。暮らしていけません。国から支給されるわずかなお金でアルコールやドラッグにのめりこんでいきます。そんなことでできあがった印象が「酔っ払いのインディアン」でございます。これもよく映画などで観られますね(父親達の星条旗など)。こんだけインディアンを糞みたいな扱いしときながら、ある時期からインディアンの価値を見直そうとかいう「白人」があらわれます。そうしたなか「白人」がインディアンの美しさを描いた映画などを通して「白人」はインディアンは本当は野蛮な民族じゃないんだとかなんとかいって自分達で満足しています。最近アメリカの抱える問題に関する本をよく読むせいか、アメリカがものすごい嫌いです。本当にちょっとやです。あいつらは自分達の都合のいいように弱者を扱ってきました。「白人」のためにです。そんな中立ち上がるインディアンもあれわれ初めました。現在は「多少」インディアンの社会的な地位が向上してきております、「白人」を相手取った裁判などで勝つこともあります。カジノを経営することで経済的に力をつけていく部族も増えています。でも多くの部族が劣悪な環境に身をおいております。これがまた最高なのですが、「ワナビー」という「白人」が自分達のアイデンティティーはインディアンだとか言ってインディアンに「なりたがる」やつもいます。ギャグです。もはやアメリカンジョークも度をこしてきました。もちろんインディアン達のなかにも問題あります。その排他的な性格などはひとつとしてあげられます。彼らは部族同士のつながりを大切にしますのでそうなります。こういうところをみるともうすこし現在に臨機応変に対応して変わっていかなきゃだめだよって気持ちにもなりますが「外」の環境がそうさせないのはもちろんのことです。などなどここに書ききれないようなインディアンに関するたくさんの事実がアメリカをとりまいております。それを知るためにはこの本を読むのが一番だと思いますので気になったんなら読んでみてはいかがでしょうか?

 本でも触れられていましたが今後のアメリカの課題は自分達がやったことを理解しそれにどう報いていくかを探っていかなければならないでしょう。非常に残念ですが過去にやったことは取り返しがつきません。しかし、それを知り未来にそれをどう活かしていくかがアメリカ人特に「白人」には問われております。いままでのような御都合主義ではだめというわけです。そんな中でわりかしリベラルかと思われるオバマ大統領の就任という心強い事実もあります。俺は今のアメリカは嫌いですが、今後のアメリカを好きになりたいので頑張って欲しいです。

リスクで斬る


 ということで勝間和代さんの『会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く』を読了しました。これで2冊目の勝間本ですが、これをあんまりすげぇなって内容ではありませんでした。この本に何を求めるかにもよりますが、とにかく勝間さんの本にそのまま影響を受けるのではなく勝間さん自身もおっしゃるよう広い視点から本を観察していくのがいいのではないでしょうか。

 内容でございます。勝間さんならでは(?)の切り口で今の社会の問題を解明していきます。今回使われる道具は「リスク」です。リスクという観点を用いて現代社会の抱える問題、たとえば企業の終身雇用制、国家の役割とはなどなどのリスクを徹底的に考えていかにわれわれが日常的にリスクにさらされているか、リスクに気づかず生きているかなどなどを論じていきます。また勝間さんは「リスク」とは何かというのを定義ずけてそれと今後どう向き合っていくかということを帰結としています。勝間さんにとって「リスク」とはいかにうまく付き合っていくかというものらしいです。あらゆる物事に潜むリスクを考え、そのリスクをとることでどれほどの危険が自分に帰ってくるかまた、どれほどのいいことが自分に帰ってくるか常に考えて生きればもう少しうまく生きれるのではないかという勝間さんからの提案です。

 まぁまず最初に文中に「リスク」っていう単語がありすぎてうざい。。。という幼稚な指摘はさておきまして、どう考えたかを申しますと、なかなかおもしろい視点だとは思ったが、議論がリスク一辺倒に感じられて少し違和感を覚えたのが感想でございます。もちろん今回は「リスク」という道具をもちいてわかりやすく解説したのだとは思いますが、それにしてもなかなか納得いかない部分もありました。大前提として、はたして「リスク・リテラシー」を身に付けたからといって今の日本の体制は変えられないことがあげられると思います。日本の抱える問題に対処するために「リスク」感覚を身に付けることの大切さはわかりましたが、まず根本から日本の問題を解決していかなければいけないのではないでしょうか。。。その点について勝間さんは「リスク」教育が必要だとかの提案はしていましたが、具体的に問題を解決するかについてはそこまで触れられていませんでした、それでは国民の「リスク」は拡大していく一方なのではないでしょうか?かなり個人主義的な考えな気がします。偽善者代表のわたしといたしましたはあまり好かない考え方です。決して間違っているといってるつもりはございません。それと、これは本当に個人的な意見ですが、普段からそんなに「リスク」を考えていたら「本当は危険だけどリスクを犯さないといけない場面」で逆に萎縮してしまうのではないでしょうか?人生にはそういう場面が何度もあると思います。個人的に。ですからその場面に対面した時に、「リスク」の高さを考えた結果、行動に移さないかもしれないではないですか!!時には「リスク」を犯す(考えずに突っ走る)ことだって必要ではないでしょうか?そうしないと得られない経験はものすごい大切なものなのではないでしょうか?それとリスクリスクいってたら人間関係とかちょっと嫌な感じじゃない?こいつ「リスク」ばっかり考えてなんなんだよ!気持ちわりぃ!自分では危険は犯さないっていうのかよ!え!?というようなギャグみたいなことだって起こらないとも限らないですからね・・・少々感情論に走りすぎましたがこんなところです。

 最後にもうちょっと「読ませる」文を勉強してくれたらもっともっと引き込まれやすくなると思いました。読んでいてどことなくつまらないなって印象を覚えてしまいました。

2010年5月14日金曜日

言われつくした考え

 えーっと、言われつくしたかと思われることについて書きたいと存じますがよろしいでしょうか?はい、よろしいです。ありがとうございます。




 ということで今回のテーマは「自分の価値」です。興味が無い人は見ないように。。。
 ずばり人は自分のことをかわいがりすぎです。人は自分ていう人間を愛しまくってます。あ、ちなみにこの考えに終着点はありません。人は自分のことをかわいがりすぎるのでものすごい損をしています。かわいすぎている例として「プライド」などがありますね。人は自分はこういう人間だという自尊心がありますのでそれを侵されたり、変えたりすることをものすごく嫌います。よって人は変われません。本当にしたいことがあっても自尊心にじゃまされちゃいます。たとえば、数学の問題がどうしても解けない場面を思い浮かべてみましょう。あなたは素直になんの躊躇もなく他人に自分がわからないことを表明し、その問題を教えてもらうことができるでしょうか?私は今になってようやくできるようになってきたくらいで95%はできていません。だって自尊心があるから。みんなが解ける問題が自分に解けないわけがないと思うし、解けないことを知られるのは恥ずかしいから。ほかにもたとえばあなたは大勢の人の前で自分の意見を主張することができるでしょうか?私はできません。なぜなら人にどう思われるか気になるからです。こんなに大勢の人の目線が一斉に自分に注がれているのにくだらないこと言っちゃったらどうしようと考えてしまうからです。それで嫌われたらどうしようとか考えちゃうからです。そんなことどうでもええことでしょ?たとえば数学の問題が解けないくらいでクラスの人にいじめられたりするわけ?いや最悪いじめられたからなんなの?それはこの世界に多大なる影響を及ぼすの?まちがいなくNOです。また、コンプレックスも裏を返せば自分のことをかわいがりすぎているのです。私ってこんなにブサイク。私ってどうしてこんなに背が低いのかしら。芸能人みたいな顔になりたいわ。などなどおそらく人間の99%が些細なものも含めてコンプレックスを抱いていると思います。ここで言いたいことも一緒で、おまえの顔がブサイクなことによって不幸になる人がいるのか?まぁいるかもね。お前の背が低いことによって誰か自殺するのか?いないでしょ。調子こいてんじゃねーおまえにそんな価値はねぇーとこう言いたいわけです。でもコンプレックスから生まれるポジティブな感情は重要なことです。このように人は常に自分をかわがっています。自分はこういう人間だからこういうことがしないとか、人からこんなふうに思われているだろうかこれはしないとだめだとか、くだらない考えは捨てましょう。しかし、捨てられないでしょう。絶対に捨てられないでしょう。これを捨てることができるのは残念ながら釈迦レベルの人です。いや、釈迦ですらあやういんじゃないでしょうか・・・だから俺は全部捨てろとは言いません。でもこう考えて欲しいのです。自分という存在はそんなにたいしたものじゃない。自分という人間が世界及ぼす影響なんて蚊よりも少ないです。蚊の方がよっぽどこの世界に影響を及ぼしています。だからもう少し自分に厳しくいきませんか?ということです。自分をもっと自分の想像もできないような環境に置いてみませんか?そしてもっと人生を楽しんでみませんか?あなたが世界に蚊ほども影響を及ぼさないんだからあなたが何をやってもいいんじゃないの?もちろん犯罪は抜きにして。そんな考えでもっと自分を変えていこうぜ!諸君!ある本に書いてありましたが、「変化こそが最大の安定」です。安定してる状態は実をいうと不安定なのです。いっやーすっきりした!
 
 しかし、ここである問題が発生します。それはといいますと自分が影響力のある人間になってしまったらいったいどうしたらいいのでしょうか?もしあなたが社長で自分のきまぐれで会社が倒産してしまったら何百もしかしたら何千にんの人々が仕事を失うかもしれないのです。いやーこわいですね。影響力のある立場の人間になった場合はどう対処したらいいのでしょうか。。。なぞです。何故なら自分という人間は蚊ほど影響力が無いからです。かといってあなたがそんなしがらみによって会社を変えていけないようじゃ会社の繁栄もありえません。今回は会社の例をあげましたが、首相なんてものすごいわけです。そんくらい重責なんです。でも日本を変えていくのが首相の責任です。だからそんなにみんなで責めちゃだめだよ?大企業の社長よりよっぽど首相の方がきついでしょ。自分の行動が与える影響がもう想像を絶するからね。だからどうしたらいいかわかりません。誰か意見を頂戴プリーズ。ここら辺で終わりません。いや、終わります。
もうちょっと書きたいことあった気がしたけどなぁ。。。

こんな神様やったら・・・


 『夢をかなえるゾウ』を読みました。この本に出会えてよかったです。俺みたいな人には是非読んでもらいたいので、中身が気になるような書き方で紹介したいと思います。

[ガネーシャの課題] 
 1.靴をみがく
 2.コンビニでお釣りを募金する
 3.食事を腹八分におさえる
 4.人が欲しがっているものを先取りする
 5.会った人を笑わせる
 6.トイレを掃除する
 7.まっすぐ帰宅する
 8.その日頑張れた自分をホメる
 9.一日何かをやめてみる
 10.決めたことを続けるための環境を作る
 11.毎朝、全身鏡を見て身なりを整える
 12.自分が得意なことを人に聞く
 13.自分の苦手なことを人に聞く
 14.夢を楽しく創造する
 15.運が良いと口に出して言う
 16.ただでもらう
 17.明日の準備をする
 18.身近にいる一番大事な人を喜ばせる
 19.誰か一人のいいところを見つけてホメる
 20.人の長所を盗む
 21.求人情報誌を見る
 22.お参りに行く
 23.人気店に入り、人気の理由を観察する
 24.プレゼントをして驚かせる
 25.やらずに後悔していることを今日から始める
 26.サービスとして夢を語る
 27.人の成功をサポートする
 28.応募する
 29.毎日、感謝する
 
 30.世界を心ゆくまで楽しむ....

 成功する方法はもう確立されている。しかし、なぜ人は成功できないのかがこの課題に含まれています。その理由を関西弁をしゃべるインドの神ガネーシャが教えてくれます。本を読むまでこれらの課題の本当の意味を知ることはないでしょう。みんながみんな成功したいわけじゃないのは承知です。今の自分に満足しているなら結構です。ですから今の自分にくすぶっていたり、どうにかして変えたいと思っていたり、本当にやりことがやれてなかったり、とにかく何かしたかったりする人はこの本を読んでください。もしかしたら成功したいとかはどうでもいいとして何か発見があるかもしれませんよ・・・

2010年5月13日木曜日

全人類が知るべき事実


 思考がまとまっていないので右往左往するとおもいますが見てください。『世界を見る目が変わる50の事実』の本に対する考察ですたい!
 まず偽善者代表のわたくしから言わせてもらいますとどうして人間はここまで自分本位に生きてしまうのだろうか疑問で仕方ありません。完全に理想論ですが全世界のひとが人のためを思って生きていればこの本に書いてあるような事実なんておそらく生じなかったと思うわけです。特にアフリカの現状(この本は若干ふるくて2005年ころ出版のもの)なんてほとんどが自分さえよければいいという外国または自国の少数の人間の搾取によって多くの人々の人権が侵害されています。アフリカでは人権侵害なんてあたりまえです。だって教育を受けてないんだもの。教育を受けられないんだもの。教育を受けるような環境じゃなんだもの。学校もないし。まず暮らしていくのだって精一杯。そんな現状を知ったってアメリカなんかもちろん日本を含み、軍事予算に莫大なお金を投入したりしてるんだから本当に人間ってものがいやになりますね。だって自分っていう人間は他人がいて初めて自分とわかるわけでしょ??それなのに自分のことしか考えないなんてわけわかんない。どうしてひとつでもおおく他人に何かを与えようと思わないのかな?奪いすぎ。俺もだけど。まだまだたくさんのものを与えられるよ。ギブアンドテイクが人間関係においては基本だけど、テイクしすぎです。そんなこと言ってるおれだって別に募金とかするわけでもないし、今のアフリカの現状をどうにかして変えたいと強い信念があるわけでもありませんが被害を与えようなんてこれっぽちも持っていません。いや、当事者である人たちでさえそんなこと思ってないのかもしれませんね。ただ単に悲惨な事実を知らないだけかもしれない。でも知らないことって時には罪になるんです。そんなこと知らなかったではすまされない問題がやまほどあります。だからこの本はひとりでも多くのひとにたくさんの世界の現状をしってもらおうと著者は思って書いているわけですね。いつ自分が加害者になるかわかりません。それほど世の中はグローバル化しています。たとえばできるだけ良いものを消費者に提供したいという思いが自分がおもいもよらない国にまで影響を及ぼしてるかもしれないのです。だからもっと経営者はグローバルな視点にたって経営すべきだよ!もちろん経営者に限らず全員がそうなるべき!そういう責任があるんだよ。もう自国のことだけで精一杯なんていってる時代じゃありません。そのためにはどうすればいいか!!考えてみましょう!俺はさっき言ってることとまったく逆のことを言いますが、まずグローバルな視点を持ちつつ自国の問題を解決していくのがいい方法だと思うんですよね。どうしても自国に問題があると先に削られていくのが海外への支援金です。まず国々が自分の国のことを思い発展させていこうとすれば必ずいい方向に向かうと思います。なんて思いましたがこれは性善説にたった考え方でしたね。そんなこと考えたった自国のために領土を増やそうとしたり、自国のために脅威になるほかの国を攻撃しようとか考えちゃうのが人間です。だからこれといって解決策は思いついておりません。ですがもうひとつはおれっちがえらくなって世界に影響を及ぼすことができるくらいの企業を作ったり政治家になることができればもっと貢献できると思います。これは夢物語です。でもいまこそ偉大な指導者が必要なときなんではないでしょうか。今の大企業は搾取しすぎです。昨日も出ていましたがスターバックスなんてくそくらいの金で大量の上質なコーヒー豆を仕入れてあんなに高い値段で販売してるんです。フェアトレードのかけらもありません。俺はそういう企業はつぶれればいいと思ってます。何が企業の社会的責任だといいたいです。市場や顧客の利益になることをするのが企業の目標です。でもそのためなら関係ないところから搾取してもかまわないわけ?やだよそんなの。そんなことをいいながらも使ってしまうのが僕です。すみません。でもみなさん!!意識です。まずそんなことがあるんだなぁくらいの認識から始まり、日々そのことを意識してすごしていればもちろん全世界の人がですよ?世界はずっといい方向に変わっていくんじゃないですかね??

 どしどしコメント待ってます。

2010年5月12日水曜日

すげぇ映画大賞受賞


 ええ、厳正なる審査の結果『4ヶ月、3週と2日』をすげぇ映画大賞にしたいと思います!!拍手!!おふざけはやめまして、この映画すごいです!もう何がすごいってほかの映画とは一線を画しています。これ本当に映画かっていうくらいリアルで臨場感にあふれてて、緊迫感があり息づかいや心情までも伝わってくるような末恐ろしいものです。ものすげぇ眠い中寝るのを覚悟で観ましたが寝れませんでした。全然観る気もない中みましたが観終わっちゃいました。そんな気はないのにです。本当です。この映画を観ながら寝れるひとはもう何?って感じです。

 内容はといいますとちょっと調べちゃいました。なんかこの映画チャウシェスク政権下のルーマニアを舞台にした作品だそうです。チャウシェスクについて少し触れます(ウィキ参照です)。チャウシェスクといえば言わずと知れた(全然知らなかったですが)独裁者です。政権を親族関係の人々で掌握する縁故主義を敷いていました。「王朝」と呼ばれるほどの権力をほしいままにしていました。しかしルーマニア初大統領就任当初は国民からの人気も高かったそうです。しかし、彼はやはり独裁者です。国民の生活をどんどん圧迫していきます。全然自国の経済について考えません。自分は好きな政策をしていました。好きな放題な暮らしをしていました。そんな最悪の状況の中旧ソ連でゴルバチョフ政権が樹立されペレストロイカが推進されました。そこで自分の権力を守ろうと固執しますが最後にはルーマニア革命によって失脚します(詳しいことはしっかり自分で調べましょう)。そんな独裁真っ只中の時代設定の映画です。当然雰囲気はよどんでいます。そんな時代のある大学の寮の中から物語は始まります。はじめは全然なにがなんだかわかりません。二人の女性を中心にほかの寮生(女寮)が次々登場します。しかしなにも起きません。淡々と進んでいきます。そこから少しずつこの映画の本題「妊娠の中絶」が現れてきます。二人の女性のうちのひとりがどうやら妊娠してしまったらしいのです。そうです。タイトルは妊娠してからの日数のことです。当時のというか今もかもしれませんがルーマニアでは胎児の中絶は罪に問われていました。しかも5ヶ月を過ぎていると殺人罪が適用されるくらい重罪です。そうとしりつつも妊娠した女性は中絶を決断してそれをもうひとりの友達に手伝ってもらいます。この辺からもう引き込まれています。そしてある中絶を専門にした男性との接触がありいざ中絶をしようとするのですがそれまでにもたくさんの問題があります。。。これ以上書くとあれなのでこの辺であとはお楽しみにしときます。

 まぁ、客観的なんですよね。終始客観的。おそろしいくらいです。普通にハンディカメラとか使って画面とか揺れまくりですw だからこそのリアリティと緊張感なのでしょう。それと中心の女性ふたりの性格の違いがまたあれなんですよね。妊娠したほうの女性は本当に緊張感が無くて、ものすごいあやういことをやろうとしてるのにまったく実感というものが感じられないんですよね。ある意味危ういんです。医者らしき男に頼まれたことも一切できないし、本当に中絶する気あんのかこのやろう状態です。だから友達の女性(主人公)は四苦八苦します。だんだんと友達に苛立ちを覚えるのですがものすごいやさしいんですよね。この女性だってたくさん嫌なことたくさんするのに最後までしっかり見捨てないんです。でもこの主人公の描写がすごいんですよ!もうがんがん感情がぶつかってきます。表にもだすし隠したりもします。この主人公の身になったら崩壊するんじゃないかってくらいなんです。でもおそらく観客はこの女性に感情移入することになるのでだからものすごい怖い。はらはら。リアル。息を呑むような展開です。決してスピーディーなわけじゃありません。どうしても目が離せないのです。とにかくみてみることをオススメします。評価で言えば全然おもしろくありません。何がなんだかわけわかりません。意味不明です。でもそういう映画なんです。だからすっきりとかそういう感覚はゼロです。終わったら悪い夢から覚めたような感覚が襲ってきます。この映画に関しては本当に観てもらはないとどうしようもない。伝え切れません。ですからとにかく観てください。
 評価はつけられません。だからこそ「すげぇ映画大賞受賞作品」に選んだのです。少々長くなりました、すみません。

おちゃめな用心棒


 というわけで人生初の黒澤明映画体験しました。『用心棒』という作品です。あまり期待して観ませんでしたが、それが功を奏したのかなかなか楽しむことができました。日本の白黒映画を観たのもこれが初めてな気がします。日本白黒デビューですね。

 さて早速内容はといいますと、ある廃れたという宿場町に三船敏郎扮する主人公の名前を忘れました。が現れます。主人公は見た目にも流浪人とわかる(木の枝で行く方向とか決める)ような格好で、いきなり知り合いらしきおじいさんの家にあがりこみ飯をごちそうになります。ここまではなんだこいつ状態です。ごちそうになっている間おじいさんからこの宿場町が二つの「丑寅」とかいうやつと「なんとか」とかいう二つの勢力に牛耳られている現状を聞きます。町の人を容赦なく殺すわ、町を荒らすわの悪者たちです。しかもこの二つの賭博関係か風俗関係かの勢力はお互いにいがみあってました。そこで主人公が一計を図りその状態を解決しようと試みるのですが・・・ここからがなかなかおちゃめな内容となっていきます。

 内容の細かい部分はかなりの眠さのなか鑑賞したのであまり覚えてません。とにかくひとついえることは、古い映画なのに楽しめたということです!!これ俺の中では結構すごいことです。ヒッチコックやなんやらの昔の偉大といわれる方々の作品は何本か見ましたが面白いとは感じませんでした。それの原因のひとつにやはり海外のものというものがあります。作った当時の時代背景がありそれまでのその国の歴史やらなんやらが内容に組み込まれていますのでなかなか楽しもうと思っても難しいのですな。そしてあたいの母親いわく昔の映画はその当時その内容が斬新で革新的なものではあったが、今それを楽しめるかどうかはやっぱり人によると思われます。ただ、映画好きのひとはやはり楽しめる気がしますね。その点『用心棒』は日本の映画ですからね。そして古さを感じさせられるがおもしろいです。でもただおもしろいだけです。別に興味深いわけでもなんでもないです。それと三船敏郎はかっこいいです。そしてお茶目です。黒澤明監督の作品はこれしか見たことないのでなんともいえないのですが、これだけでは世界の黒澤といわれていいような内容ではないです。個人的にこの映画はクリント・イーストウッドなどの作品にも見られましたが、ある時代設定がありその当時の日本で普通に起きていた出来事を監督の視点から解釈し映像にしたのではないかと思います。そして日本にはこんな時代がありましたと伝えたかったのではないでしょうかね。わかりませんが。これからもうちょっと有名どころも混ぜつつ黒澤映画を楽しんでいきたいとおもいます。

 なんか話がまとまりませんでしたが、評価は今後の期待を含め★★☆☆☆。
ちなみにアマゾンリンクできるようになりました^^

2010年5月9日日曜日

崩壊に次ぐ崩壊


 今日3本目の映画は友達オススメの西川美和監督作品『蛇イチゴ』でした。この人の『ゆれる』を観たときにこの人の映画は難しすぎてわけわからんというわけで挫折を味わったのを覚えております。どうしてあんなに難しい映画を作るのか恨んだ覚えすらあります。というわけ今回の作品もまったく期待しておりませんでした。しかし!!この映画に関しては・・・同じような挫折を味わいました。。。またこの監督は難しいのをつくりやがりました。難しいというより答えがないというかメッセージ性がないというか、なんていうか観ていて怖くなります。もうひやひやします。多少のネタバレもあるかもしれません注意。

 さて内容はというと書くとなるとなかなかの曲者ですが頑張ります。ある一見平和そうな家庭がありました。その家庭は一見どころか家族の中でもこの家族は幸せだと思い込んでおりました。しかし、ひとりひとりが爆弾を抱えていました。その爆弾が直接的な表現なしに次々に観客に提示されていきます。もうなにがなんだかわからない状態です。しかし、わけがわからぬまま観客はいやおうなしにこの世界に引き込まれます。そしてやがてひとりひとりの爆弾が水面下で爆発しました。終には表面化しました。この家族は音を立てずに崩壊しました。もうそれは崩壊しました。というより、もとより崩壊していました。その崩壊を止めるものは何もありません。そこに家族を救いに来たかのように突然息子が現れました。彼も崩壊していました。彼の崩壊は彼の家族に見えません。ゆえに救いにきてくれたと思い込みます。しかし、もちろん救いません。なぜなら彼も崩壊しているからです。そして、崩壊の先に行きます。崩壊を通り越します。もはや最後には崩壊する部分も残っていません。そして最後に蛇イチゴが残りました。誰も救われませんでしたがなぜか蛇イチゴだけは輝いていました。おしまい。

 こんな感じのぶっとんだ内容です。まぁ怖かった。この人のカメラワークといい、映像の色調といいすべてが怖い。まったく怖いものなんて出てきてないのに怖い。言葉ではなく演技と上記のふたつで崩壊をイメージさせます。そしてさらに痴呆症かなんかのおじいちゃんが怖い。彼は見た目には完全に崩壊していますが、彼が一番崩壊してしません。その対比がたまらなく怖い。あのおじいちゃんは家族の崩壊に気づいているように見えました。たまらない。そしてみんなの演技がたまらない。うまいかなりうまい。というより演出がうまい。やっぱり明快なテーマは感じなかった。たぶんあたいの考えでは西川監督は人間の内面を描きたかったのではないでしょうか。誰もが目をつぶる人間の一面を描きたかったのではないでしょうか。つまり『ゆれる』と似たようなものを感じます。ただこの映画ほうが『ゆれる』よりは怖くなかったです。まだ内容が綺麗でした。友達が言っていましたが、主演を宮迫にすることでかなり和らいだかんがあります。というかあれも監督の意図だったのでしょう。人間は自分の醜い部分を見せまいと必死です。家族にすら隠します。それを見せたら自分という人間が疑われるから。誰もがこの感情を持っているでしょう。本当はものすごい殺意を心に秘めているかもしれない。本当はものすごい性欲を心に秘めているかもしれない。でもたいていの人間はそれを表に出しません。なぜなら犯罪になりうるからです。それを言うなら犯罪者ほど自分という人間のありままの姿を出すひとはいないでしょう。そういうところだと感じました。西川美和監督が描きたかったのはそういうところではなかったのでしょうか。。。と、少しあぶなめの内容になりましたが以上が感想です。好き嫌いは大いに分かれると思いますがこういう作品をみていっぱい考えるのもいいじゃないでしょうか・・・

評価は★★★。まぁ本当に人によるよ?友達はこの映画が大好きです。なんで好きかはまったく理解できません。でもそういう人もいるのです。

大晦日の豪華なおふざけ


 さてさて連続投稿したいと思います。今日はthe有頂天ホテルを鑑賞しましたーー!!というか映画(DVD)の投稿って誰か見たい人いるのか?やっぱり今劇場でやってる映画の方がいい気がするけど・・・まぁそんな金はないわけで。とにかくこの投稿を見てこの映画に興味を持ってくれればいいかなって気がします。そしてどしどしコメントください!!!お前の意見には納得できない等なんでもかまいません!しかし、別に返信したりはしません。

 内容ですが、思っていたものとは違いました。おそらく私が初めて観た三谷幸喜監督の作品は「マジックアワー」な気がしますがあそこまでふざけてはいませんでした。かといって「みんなの家」よりは笑いの数が多いのか?っていう感じです。私は「マッジクアワー」みたいなものをこの映画に期待しましたがそうではなかったです。というか普通にいい映画でした。笑いも全体的にシュールな感じで爆笑というよりはクスクス系の笑いかと思います。さて本題です。あるめちゃめちゃ従業員が個性的なホテルの大晦日の夜。ホテルで開かれるニューイヤーパーティーに向けて従業員一同仕事を進めていくのですが、、、まぁ障害だらけで全然進みません。ていうか来る客来る客従業員より個性的なやつらばっかりで従業員も振り回されまくり。というかみんながみんなふざけてます。ギャグです。最後にはいくつものギャグ試練を乗り越えて開催にこぎつきます。そこまでの過程がこれが意外にいい内容なんだよなー。ギャグなんだけどいい内容なんだよなー。

 この映画を観て思ったのはまず、三谷監督の力量が半端じゃないこと!どうやったらあんなに個性丸出しの役者たちをまとめていくのか本当に疑問でしたかありません。もうほとんどの役者が主役をやってもいいような人物ばかりなのに、決して特定の人物に焦点を当てるのでわなく全員が少しずつ個性を生かせれているという見事なもの。どうしてもあんだけの役者たちがそろったら活かしきれない人が出てきてもおかしくないですが、ひとりとして無駄な人はいません。もはやこれは芸術といってもいい次元です。はっきり言って三谷幸喜を見直しました。ふざけてばっかりで実力がないと思ってましたが、完全に勘違い。ものすごい実力。そして、この映画を支える脚本がすごいと思う。言葉とかもアドリブかもしれないけどまぁすばらしい。あきることなく2時間16分の長さを観ることができます。「マジックアワー」も最高でしたが、この映画もなかなかなものです。みなさんにも是非見ていただきたい一本です。

 というわけで評価です。★★★★☆。こんだけ推してて4つかよと思うかもしれませんが、俺は1と5を付けるのには結構厳しいと自負してします。つまり1だったら本当につまらない映画だし、5だったら最高の映画といって間違いありません(俺にとって)。

最強最悪の美人


 というわけでGガール(My super ex-girlfriend)を鑑賞しました。あんまり感想を書く気持ちになれないので適当に書きたいと思われます。内容はいたって簡単そしておもしろい!っていう感じです。学生時代に隕石がふってきてそれに触れた若かりしころのユマ・サーマンがスーパーな能力を手に入れて人々を救う日々を送っていた。普段は仮の姿でひっそりと過ごしていたが、そこに男がアプローチをしてきてその男にほれてしまい、その日のうちにセックスまでしてしまうというまぁなんともとんでもない始まりでありました。そしてまぁGガールの性格が悪いのなんので男がついに耐え切れなくなってしまい彼女をフルが・・・・・そこからがこの映画の本題であるわけです。

 まぁ娯楽映画としては結構面白い気がします。ていうかなによりもユマ・サーマンのきれいのなんのってもう完全に美人です。もうひとりのアンナ・ファリス的な名前のひともかわいいですが、とにかく別次元!!どうしてこんなにきれいなのにキル・ビルといいこんなやくばっかりやるのかわかりません。そして出る映画出る映画キスシーンの嵐。確実に男優の方に嫉妬します。まぁとにかく活躍してさえくれればなんでもいいです。ユマ・サーマンって何人なのって感じの名前しとりますが俺の予想としてはスウェーデンとかそのへんの出身な気がします。髪もきれいなブロンドで背も高くもう完璧といっていいのではないでしょうか!

 この辺でユマ・サーマンの話は終わりにして。とにかくこの映画はあんまりきを張る必要もなくすごい楽な気持ちで見ることができるので彼女と一緒にみたりしたら楽しいと思います。ただ、わざわざ借りにいくほどの内容でもないです。でもユマ・サーマンが好きな人には最高の映画だとおもいます!!!

例にならって評価をつけます!評価は★★★★☆です!!ちなみにこの評価はかなり偏見が混じっています。

それとどうやって画像を押したらアマゾンとかに飛ぶようになるのか誰か教えてください。

2010年5月8日土曜日

人は元々分かり合えない


 この本は他人と会話をする上でかかせないさまざま要素がかかれている。その中でも一番重要なのがタイトルにもあるとおり、「人は元々分かり合えない」ということである。これは悲観的に会話(コミュニケーション)を捉えているのはではなく、その絶対的な事実を知った上でコミュニケーションをしていくべきだといっている。はじめから人にわからせようとかわかってもらおうとか思ってたらコミュニケーションはうまくいかないよというわけであろう。この世にひとりとしてまったく同じ考えを持っている人間は存在しない。自分がこれはおもしろいとかこれはすごいとかこれは感動するとかこれは悲しいとかは人によって感じ方や捉え方は違う。そこでどうしたら自分の考えを人に聞いてもらえるようにするのだろうか・・・そこで重要なのがこの本に書かれていることである。
 ひとはほとんどと言っていいほど他人の話をちゃんと聞いていない。それも当然である。自分のまわりは常に動いていて数え切れないほどの出来事が絶え間なく起こっている。話を聞いている最中に隣のテーブルの人がくしゃみをするかもしれない、自分の昇進のことを考えているかもしれない、昨日行った飲み会を後悔しているかもしれない、彼女とうまくいっていないことを話したい、などなど人は「たいてい自分以外のことなど眼中にない」のである。そんな雑多な思いにふける人にどうしたら話を聞かせることができるだろうか・・・それはまず「人の話を聞こう」である。人に質問をしてその人のことを知ろう、その人の思いを語ってもらおうである。その人の話を熱心に聞くことで人は「自分の話を聞いてくれている。じゃあ俺も今度は相手の話を聞こう」となるのである。自分の話ばかりを相手に聞かせていては当然相手も退屈で興味がうせるのも当然のことだろう。聞くことは話すことなのである。その他さまざまな方法が紹介されている。
 人はわざわざ会話を意識しながらするなんてどちらかといえばあまりいい印象は無いかもしれないが、会話が上達することで人との関係は必ずうまくいくようになるのである。意識しないで会話が上達すると思うな!というわけである。この本を読んでぜひみなさんにも会話の面白さと重要性を知ってほしい。
 
 さて内容はあまりうまくまとまりませんでしたがこんな感じです。個人的な感想としては、内容はとてもおもしろく多くの人のためになる内容であることは間違いないが、文章があんまりおもしろくなく読んでいると眠気がおそってくる感は否めません。ていうか俺の集中力の問題もあるかもしれんませんが・・・。会話に関する本はいままで何冊か読んできましたがこれはなんというか人生においてというよりもビジネスシーンにおいてということに若干強めに重きを置いていると思いました。値段が1500円するのでほかにも探せばお手軽にこの手の本は手に入るかもしれません。


なんとなく続く限りは評価をつけていきたいと思います。評価★★★
ちなみに最大は★5つです。

2010年5月1日土曜日

2010年5月1日土曜日

齋藤孝さんや勝間和代さんの影響を受けて今日から本の感想や映画の感想とか日々思った重要なことを投稿し始める!!!!!とにかく訪れた人はなんでもいいからコメントを残してくれるとものすごい助かる。結局、このブログを通して自分の文章を書く力をつけ多くのひとの心を動かすことができることが目標だからなんのコメントもなしじゃあんまりやってる意味もないわけで・・・まぁとにかくよろしくお願いします!てこれってブログに書く内容か?