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2010年5月14日金曜日

言われつくした考え

 えーっと、言われつくしたかと思われることについて書きたいと存じますがよろしいでしょうか?はい、よろしいです。ありがとうございます。




 ということで今回のテーマは「自分の価値」です。興味が無い人は見ないように。。。
 ずばり人は自分のことをかわいがりすぎです。人は自分ていう人間を愛しまくってます。あ、ちなみにこの考えに終着点はありません。人は自分のことをかわいがりすぎるのでものすごい損をしています。かわいすぎている例として「プライド」などがありますね。人は自分はこういう人間だという自尊心がありますのでそれを侵されたり、変えたりすることをものすごく嫌います。よって人は変われません。本当にしたいことがあっても自尊心にじゃまされちゃいます。たとえば、数学の問題がどうしても解けない場面を思い浮かべてみましょう。あなたは素直になんの躊躇もなく他人に自分がわからないことを表明し、その問題を教えてもらうことができるでしょうか?私は今になってようやくできるようになってきたくらいで95%はできていません。だって自尊心があるから。みんなが解ける問題が自分に解けないわけがないと思うし、解けないことを知られるのは恥ずかしいから。ほかにもたとえばあなたは大勢の人の前で自分の意見を主張することができるでしょうか?私はできません。なぜなら人にどう思われるか気になるからです。こんなに大勢の人の目線が一斉に自分に注がれているのにくだらないこと言っちゃったらどうしようと考えてしまうからです。それで嫌われたらどうしようとか考えちゃうからです。そんなことどうでもええことでしょ?たとえば数学の問題が解けないくらいでクラスの人にいじめられたりするわけ?いや最悪いじめられたからなんなの?それはこの世界に多大なる影響を及ぼすの?まちがいなくNOです。また、コンプレックスも裏を返せば自分のことをかわいがりすぎているのです。私ってこんなにブサイク。私ってどうしてこんなに背が低いのかしら。芸能人みたいな顔になりたいわ。などなどおそらく人間の99%が些細なものも含めてコンプレックスを抱いていると思います。ここで言いたいことも一緒で、おまえの顔がブサイクなことによって不幸になる人がいるのか?まぁいるかもね。お前の背が低いことによって誰か自殺するのか?いないでしょ。調子こいてんじゃねーおまえにそんな価値はねぇーとこう言いたいわけです。でもコンプレックスから生まれるポジティブな感情は重要なことです。このように人は常に自分をかわがっています。自分はこういう人間だからこういうことがしないとか、人からこんなふうに思われているだろうかこれはしないとだめだとか、くだらない考えは捨てましょう。しかし、捨てられないでしょう。絶対に捨てられないでしょう。これを捨てることができるのは残念ながら釈迦レベルの人です。いや、釈迦ですらあやういんじゃないでしょうか・・・だから俺は全部捨てろとは言いません。でもこう考えて欲しいのです。自分という存在はそんなにたいしたものじゃない。自分という人間が世界及ぼす影響なんて蚊よりも少ないです。蚊の方がよっぽどこの世界に影響を及ぼしています。だからもう少し自分に厳しくいきませんか?ということです。自分をもっと自分の想像もできないような環境に置いてみませんか?そしてもっと人生を楽しんでみませんか?あなたが世界に蚊ほども影響を及ぼさないんだからあなたが何をやってもいいんじゃないの?もちろん犯罪は抜きにして。そんな考えでもっと自分を変えていこうぜ!諸君!ある本に書いてありましたが、「変化こそが最大の安定」です。安定してる状態は実をいうと不安定なのです。いっやーすっきりした!
 
 しかし、ここである問題が発生します。それはといいますと自分が影響力のある人間になってしまったらいったいどうしたらいいのでしょうか?もしあなたが社長で自分のきまぐれで会社が倒産してしまったら何百もしかしたら何千にんの人々が仕事を失うかもしれないのです。いやーこわいですね。影響力のある立場の人間になった場合はどう対処したらいいのでしょうか。。。なぞです。何故なら自分という人間は蚊ほど影響力が無いからです。かといってあなたがそんなしがらみによって会社を変えていけないようじゃ会社の繁栄もありえません。今回は会社の例をあげましたが、首相なんてものすごいわけです。そんくらい重責なんです。でも日本を変えていくのが首相の責任です。だからそんなにみんなで責めちゃだめだよ?大企業の社長よりよっぽど首相の方がきついでしょ。自分の行動が与える影響がもう想像を絶するからね。だからどうしたらいいかわかりません。誰か意見を頂戴プリーズ。ここら辺で終わりません。いや、終わります。
もうちょっと書きたいことあった気がしたけどなぁ。。。

2 件のコメント:

  1. 俺も長いことかけて、人には柔軟性こそが必要なものなんじゃないかという考えをもった。自分と違う他人を許すことや、自分が恥をかくことを許すことだ。そのために自分が集団で発言することを恥じないように行動する一方で、他人がどんな考えを持っていたとしても「まあ、そういう考えもあるな」とおおむね許してきた。

    だけど先日、日本現代史の教授に俺のスタンスを否定されてしまった。その教授が言うには、自分は譲れないという確固とした考えを持っていないと、他者との考えの衝突が起きない。ゆえに自分の芯となるものが揺らぐ体験をしないことになってしまう。人にぶつかっても手ごたえの無い暖簾のような自己が出来あがってしまう。

    変化していくためには強固な自分を作りあげ、他者とぶつかって壊れるという作業の繰り返しが必要なんだと思う。そのためには、確かに自分をかわいがってはいけないと思う。

    変化に対応できる人間と変化に対応できない人間どちらになりたいかっていったらもちろん前者だ。そのためには、考える実践主義者にならなければと思う。

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  2. 僕は自分のことなんかどうでもいいと思ってます。
    天皇のためなら死ねます。
    人のためなら死ねます。
    だから、人のために生きます。
    なぜなら、いずれ死ぬからです。
    とことん、人のために死ねるから、とことん人のために生きます。

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