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2010年7月4日日曜日

現代へのアンチテーゼ



 かっこいいタイトルをつけてみました。どうも楽天的な臆病ものです。
 
 本日、みなさんご存知スタジオジブリ不朽の名作『天空の城ラピュタ』を鑑賞いたしました!ちょっと待てよ!これ1位ちゃうか?ってくらいすばらしい作品でした。もちろん監督・脚本・演出?(最後の三つめわかりませんが)は我らが宮崎駿監督です。携帯の変換にも一発ででること間違いなしの超人間級の天才です。ほめすぎました。そして音楽は我が師(気持ち)である久石譲殿でございます。記憶が正しければこの作品からジブリの音楽を手がけるようになったのかと。内容はみなさんご存知のはず!ですので私の解釈や感想を書きます。ちなみにかなり雑でネットに書き込んだら炎上するんじゃないか?ってくらい幼稚なものなので是非見てやってください。



 時はイギリスかどこかの産業革命の時代(人類の発展つまり科学や工業技術の発展です)。バズー?パズー?少年は国宝級の少女シータまたの名をルシータ・トエル・ウル・ラピュタ(うろ覚え)に出会います。この場面がもう感動的ではなっから名作オーラがガンガン出ています。そんなことはさておき、この映画なんと現代にこそ必要な映画ではないでしょうか!!それを紆余曲折を経て最終的に結論が出るかわからないあまりに混沌とした説明で解き明かしていきたいと思います。
 まず舞台に注目ですね。最初に書いたように、産業革命の時代です。すべてが技術の発展ひいては人類の発展という名目で進んでいる時代です。人類の発展のためならほかのことなんて知ったこっちゃないぜ!ってことですね。この時代にそれ以外のこと考えている先見の明がある人物はそういなかったことでしょう。そんな時代のはるか昔700年前に現在の人類よりはるかに科学技術の発達した天空文明が存在しました。しかし、映像を見れば明らかのようにこの文明は自然の力により崩壊します。いやあまりに発展しすぎたため崩壊したといってもいいでしょう。700年後の現在その文明の圧倒的な技術=世界を征服できる力を利用しようと、まさかの正統な血統の王族の子孫にあたるムスカ君がシータの前に現れます。どうしてそこを正統な血族にしたんだろうかという疑問もありますが、俺には理解できないくらい深い意味がそこには含まれていることでしょう。ムスカ君のなんと人間らしいことやら!一番人間味にあふれています。あんなに不の側面を成長させた王族もなかなかいないでしょう。「見ろ、人間がゴミのようだ!」なんて言葉人間以外には吐けません。
 さて、話を本筋に戻します。このムスカ君は超文明を使って世界を牛耳ることを目論見ます。そのためには自然で育ったいたいけな少女シータの力(飛行石と呪文)が必要でした。この対比が重要ですね。ムスカ君が裕福な家庭で都会の中で育ったことは見れば明らかでしょう。そんでもってシータの強奪戦が始まるわけですね。なんでもかんでもお構いないしです。盗賊は財宝目当てならシータの命なんてお構いなし。ムスカ君率いる軍側も兵器を使って殺戮行為の限りを尽くします(尽くしません)。そしてムスカ君はあれこれあって力を手に入れることに成功しラピュタを目指します。力を奪うまでに登場するラピュタ文明の機械(=文明)がまぁなんと残酷でシータだけにやさしいことやら。でもここが重要です。なぜかって文明の象徴である機械が文明の行動を阻止するわけですからね。もちろんシータを救うという使命があってのことですが、なかなかおもしろい暗示になっていると考えます。
 自然派の二人シータとパズー(鳥とかにも好かれてる)は盗賊の仲間になってラピュタを目指します。盗賊の船からふたりだけ引き離されて「竜の巣」なかにとりこまれてしまうわけですが、その場面を見るとどうしてもヒッチコックの作品『2001年宇宙の旅』に似ていると思うんですよね。どっちが先か知らんけど明らかに意識してるっしょてな感じもします。つまり文明の届かないような場所に進んでいるかのような暗示です。それで終に天空の城ラピュタに到着するわけですが、そこで待っていたのは超自然派ロボット君でした。鳥の事とか超気にするし、動物たちとも共存しまくりです。つまり滅びた超文明であるラピュタ文明と自然が共生しているんです。なんともアイロニックですね。それでは今の人類はどうでしょう-?
 そんでなんだかんだあってムスカ君は圧倒的な力を手に入れて手始めに軍の人たちを皆殺しにします。ここでの言葉が先ほど述べた言葉です。まぁラピュタの軍事力のすさまじいこと!われわれの住む今の現在でも勝てそうにありません。そんな力を使うムスカ君の行動を見ていられない自然派少女のシータさんはガンバって石を取り返し逃走します。そして見事な忍耐と突破力でまさかのラピュタ入りを果たした、今の日本代表のトップに欲しい存在のパズーいやバズーと合流します。いまさらですが、このバズーっていう少年、かっこいい!バズーとシータはジブリの今後を担う人物像です。これこそがジブリファンが多い原因でもありましょう。この性格は若干ディズニーにおける主人公とヒロインにも似ているかもしれません。
 いよいよ文章にまとまりがなくなってきましたが、頑張りましょう!そんで合流した二人は最後の手段つまり滅びの呪文を使います。この滅びの呪文の短いこと。日常的にも口ずさんじゃうかもねくらいです。たった一言の呪文でラピュタ「文明」は崩壊します。なぜカッコ付けというと文明は崩壊しますが、飾りであったはずの自然の部分は生き残るからです。超自然物の「飛行石」だけが名残といえるでしょうか。つまり古代に繁栄のきわみをつくした超文明が一瞬にして崩壊し、残ったのは手付かずの自然だけです。言い換えれば、人間の作った文明の脆いこと脆いこと。結局自然の力には勝てません。また、文明は自然によっても滅びますが、文明それ自身によっても滅ぶのですね。ここに現代へのアンチテーゼがあるのではないでしょうか。
 今の文明は発展の極みといっても過言ではないくらい発展していますね。終にはしゃべるロボットや人間の遺伝子操作なんてこともできちゃいます。その繁栄の対価として払ってきたのが地球が育ててきた自然です。もちろん人間のものであるはずがありません。しかしその代償として今地球の自然は悲鳴をあげています。いずれは人間も空に行くかもしれませんね。そこで大切なせりふがあります。シータのセリフに「人間は地に着いていないとダメなんだよ!」みたいなセリフがあります。つまり自然と共に生きていかないとダメなんだよってことですね。人間はものすごい年月をかけて今そのことに気づこうとしています。しかし、失ったものを取り戻すのは簡単ではないでしょう。古代に発展した超文明ラピュタでさえも自然に勝てない。まさに超文明ラピュタの結末こそが今人類の歩んでいる道ではないでしょうか。自然に勝つ勝たないの問題ではありません。人間が生きていけるかどうかの問題です。人間は全員あるいみ身勝手でしょう。それもしかたありません、こんだけの知能をもっているんだから。しかし神様はこの世界をおもしろいくらいよくおつくりになられて奉り申し上げまくりなので、身勝手は許しません。
 現在の文明に求められていることはなんでしょう?身勝手な人間が今考えなければいけないことはなんでしょう?書き足りないこともあろうと思いますが、一時間かけてこのメッセージをお伝えしてみました。おいらのオナニー(事故マン)にお付き合いいただいた方には感謝の意をお伝えしたいと思います。

2010年7月3日土曜日

New york, I love you




おいらはもう一本の方であるオムニバス映画『New york, I love you』(監督多数)について書こうと思います。この映画はなんといっても豪華キャストをつかいまくってさらに使い捨てるというまことにニューヨーカーな感じの映画です。友達が言っていましたが、「この映画で監督は映画を作る練習をしてるんじゃないの?」という意見は同意はしませんが、あながち間違いでもないように思われます。なぜなら監督を務めた方のなかにはハリウッドの女優などの監督経験のない?少ない?方が散見されるからです。そして二時間くらいの映画の中に6も7も物語を入れるから映画としてはあんまりインパクトとかは感じられません(ところどころの物語はつながってたりします)。短い時間の中でいかにニューヨークの恋物語を理解させるか伝えるかが問題ですね。結果としてある意味成功、ある意味失敗(意味はありません)だった気がします。個人的には老人編が好きです。人としてはナタリーポートマンの顔が好きです。


 New york、そこは様々な人種さまざまな宗教、さまざまな人間が住む混沌としたリベラルなCityです。そこのCityで繰り広げられる恋ももちろんそれを反映し複雑で一筋縄ではいかないものばかりです。しかし、それを楽しむのもNewyorkerの心得といわんばかりに色んな恋が映し出されます。「よぉ。お前ら憶えとけよ。Newyorkはこんな町なんだぜ。」って言われてる感じです。でもそれでいいです。この映画はそれでいいのです。あぁNewyorkって刺激にあふれていておもしろそうな町だな、一度でいいから行ってみたいなと思えればこの映画はいいのです。だから『New york, I love you』なわけですな。そういう俺もあらゆる肉体関係を求めて今すぐNew yorkに旅に行きたい気分にさせられました。アメリカの中でもかなり人種の入り乱れる地域でかつアメリカ随一のリベラル場所で、かつアメリカの中でお金もちがたくさんすんでいるNew york。そんな町に行く前にこの映画で予行練習をしといたらいかがでしょうか。


追伸 パリ編もあります。上海編も上映予定です。

2010年6月22日火曜日

「死」はあるが、無い。


 早速、俺の大好きな意味深なタイトルを付けてみました。これは俺が考えた映画『私の中のあなた』における結論です。あんま時間をかけたくないので適当に書きます。

 まず内容。ある一人の少女が白血病であることを知った両親は途方にくれます。そんなとき医師からオフレコでとんでもない方法を聞きます。それはー白血病のドナーの名目で意図的に操作した赤ちゃんを作ることでーす。とんでもないことをこの両親は助けたい一心でしちゃいます。そんでもって生まれてきたのが「ドナーチャイルド」です。彼女の存在意義は姉を助けることです。なんともかなしや。しかし、彼女ももちろん普通の人間なので成長します。そして「考え」を持つようになるわけですね。そしてある日彼女は弁護士にこう相談しマース。「私の体を守るために、両親を訴えます。」。っておーい!ずいぶんおもいきった態度にでてなー。っていう感じですね。そんでもって両親というか自分のキャリアや人生を白血病の娘にささげてきたお母さんがぶち切れまーす。どうして?の連呼です。そんなこといってもーっと思うかもしれませんが、それほどお母さんはこの娘を愛しているのでーす。ある意味愛は盲目ですね。そんなこんなで過去を振り返ったりしながらストーリーが展開していきまして、ある真相が発覚しまーす。なかなか泣かせる意味深い真相です。真相が発覚してもうすごいことになるまーす。そんな感じの映画です。

 かなり適当に書いてみました。そんでもって感想はネタバレになるので見てない人は見ないでください。ひとつだけ言いますが、この映画普通におもしろいです。結構観ることをオススメする映画です。子役の女の子とか普通に好きです。「この子を娘にしたいよ宣言」に組み込まれました。リトルミオスサンシャインのときにはあんなだったのにいまではすっかり大人になっていました。ならなんで適当に書いたかといいますと、ショーシャンクの感想にめっちゃ時間をとられたからです。それでは感想。













 
 


 結局、お姉ちゃんは死にます。しかし、言い方はあれだけどここからが本当にこの作品の言いたい部分かと思います。つまり「死」はあるが無い。ですね。どんな意味かといいますと、「死」は確かにあるんだけどそれはほかの人にとってあるのであって死んだ本人には無いんですね。ちょっと哲学的だけどおもしろい。そしてほかの人にとって在る「死」も決して特別な何かではないんですね。「死」という事実があるだけなんですよ。んでもってその事実が人を悲しませたりするわけだけどそれもちょっと違うんだよね。だって「死」自体が何かなんてわからないわけだから。わからないことにかなしんだりできないでしょ。でもじゃあなにがあるのかっていったら「死んだ人」との記憶だったり思い出だったりするわけさ。つながりみたいなものだわね。それがつながりのある人の心に残るわけね。だからこれも「死」はあるけど無いってことなんだわね。ある死を認識してというか受け入れて、そういうことに気づくんだわね人ってものは。「死」は無い。ってことを認識する受け入れる。でも確かに愛しの娘は死んでいる。ここが難しい。俺にだってまったくわかんない。この文が何を言ってるのかもよくわかんない。でも「死」を扱ってるから仕方ない。誰にもわかんないからね。ってちょっと尊敬する「池田晶子」さん風に感想を書いてみましたが支離滅裂かもしれません。

奪えないもの


 スティーブン・キング原作の作品、『ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption』を鑑賞しました。監督はこの映画が初監督であるフランク・ダラボン。主演はティム・ロビンスとモーガン・フリーマンかな?この映画は第67回アカデミー賞で主要7部門にノミネートされましたが、同年の候補に『フォレスト・ガンプ 一期一会』『パルプ・フィクション』などの名作があり人々にはあまり注目されず、興行収入も赤字だったそうな。まぁ少なくともこのふたつよりはこの作品のほうが好きですね。スティーブン・キングの原作はよく映画化されていますが、なかなかはずさないですね。『スタンドバイミー』なんかもそうですが、原作がすばらしいだけに、内容もそれに伴うのでしょうか・・?
 
 前置きはこれくらいにして感想を書きます。ひとことで「素晴らしい」映画でした。まさに100本に1本の映画。見ている間にいつのまにか画面にかぶりついていました。正座していました。そのくらい一生懸命みました。そのくらい無駄なシーンがありませんでした。これが初監督なんてどんだけすげぇんだよ監督さん。。。俺ももし映画を作るとしたらこういう映画を是非作りたいです。この映画がどうしてここまで素晴らしくさらに不朽のものになりえたか、それは、テーマが不朽だからです。ハリウッド映画はなんていうかその場限りのもの。今の話題を映画にする感じ。それか現実ではありえないような設定とか。別にけなしてるわけじゃなくてそれはあくまでいい作品にはなれるものの不朽の名作にはなりえない側面があります。それはいつの時代も通じるテーマではないからです。しかし、ショーシャンクの空にがおそらく扱っているというか、この映画を見る人に伝えたいことって明確に普遍的なテーマな気がする。そのテーマは「希望」です。生まれてきてか一度も希望を描かない人間はおれの知る限りではいないと思います。それは「希望」は人間が生きる糧になるからです。人間から「希望」を抜いたら残るものは非常にさびしいものでしょう。ここでの希望はそんなに大それたものじゃなく、どんなことでも「こうあったらいいな」というもの。主人公の希望がそうであったように。人を絶望に陥れるのも「希望」だし、人を絶望から救うのも「希望」。この映画はそういうテーマを扱っています。主人公は何度も苦しい経験をし、普通の人なら死を選択してもおかしくないような体験もします。しかし彼は「希望」をもっていました、「希望」が彼を動かしそして、生かしたのです。「希望」を無くした人間の末路は「死」です。それは映画にも描かれています。それほどまでに「希望」は人間の根源にかかわるものなのですね。この映画を見ている最中なんでも希望を失いかけましたが、この映画は最後に「希望」をしっかり残してくれました。「希望」は人間から決して「奪えないもの」です。
 ここからは余談ですが、やっぱり悪いことをやる人は必ず報いを受けるね。それは必ず誰かを傷つけているからね。私利私欲のために生きているひとなんかだめだね。ていうかそれの何がおもしろいのかまったくわからない。刑務所に長年いて、しかも囚人を病院送りにしたり、裏で金儲けをしたり、一時の欲求を満たすためにアホみたいなことを続ける。まったく理解できないね。世の中にはそういう人間が多すぎる。彼らにあるのは「希望」ではなく、単なる「欲求」、それも低劣な。そんなことで人は豊かになれるわけがない。いや金銭的にも精神的にも豊かになれるだろうけど、その人自体の心(誰にも触れることのできない、でも人が必ず持っているもの)は豊かにならない。そこを豊かにすることなしに、本当の意味で豊かになることはありません。「俺は金で心が豊かになる」と本気で思ってるなら、今のその人のこころは豊かではありません。少なくとも俺の考える「豊かさ」ではありません。そこを勘違いしてはいけません。目の前にある「欲求」が人生を豊かにするのではありません。これがわからないから悪い事をしちゃうんだよなー。それともうひとつ、主人公の人柄というか人間性がこれまた人を惹きつけるんだわね。教養があって決していやみじゃなく、人のためなら危険をも犯す。人に「与える」ことを喜びにしている。でも決して人に希望を与えるだけじゃなくて、自分の希望も持っている。そういう人を決して世界は裏切らない。もちろん裏切ることもあるけど、最終的には裏切らない。「希望」を残す。主人公は本当に教養があってなんでもしってるんだよ。それが彼を魅力的にしている。それが彼に「希望」を与える。やはり教養の大切さが身にしみたね。そして、教養ある魅力的で心が豊かな彼には、良い友達ができる。彼にもわかるし、ほかのひとにもわかる。だからお互い深くつながるんだよね。友情も「希望」のひとつであるね。ていうか世の中「希望」に満ち溢れてるよ。戦争とかももちろん存在するけど。戦争の悲惨さを知らない俺が何知ったかぶってんだよって思うかもしれないけど。そう思わないと、生きていけないわ。そう思わないと、生きることの意味なんて絶対見つけられないわ。
 

 余談の方が長くなっちゃったけど、マコリングマが勧めてたようにこの映画は本当に素晴らしいものです。一度は見てみることをオススメします。そして、この映画を素晴らしいと思える心を常にもっていたいです。

2010年6月17日木曜日

これぞジブリ!!


 昨日くらいにジブリ作品である『耳をすませば』を見ました!!!この作品の監督は宮崎駿さんではございません。近藤喜文さんでございます。ただアニメ映画における監督って何ぞやという疑問がいまだに頭を離れません。それは置いといて、さすがジブリですね。というか『耳をすませば』っていう作品は俺の求めるジブリそのままのジブリでした。最高ですね。夢あり、ファンタジーあり、青春あり、感動ありっていうもう王道が詰め込まれてます。また設定も突飛なというか別世界というわけではなく、完全に日本ある時代という設定なのでこれがまたよかったです。そしてそして驚くべきことに、この作品のモデルとなった場所が俺の住んでいる町の隣町である「聖蹟桜ヶ丘」なんですよねー!もう今度夏休みにでも行ってやろうかと思ってます。そして「丘の上にロータリーなんてあったんだー」って言いたいです。なんていうかジブリの絵って現実世界のものではないんだけど、どこか親しみを覚えてしまうんですよね。あぁこんなところがあるのかぁ。行ってみたいなぁっていう気持ちになれるんですよね。ジブリにはメランコリーでノスタルジックな感じがあります。これが結構ジブリに求めているものだったりしますね。だからタイトルにもあるとおり「これぞジブリ!!」なわけです。そして耳をすませばに登場する人物達がいいんですよねー。もちろん月島雫にはじまり、雫の親友、その親友の好きな男の子、そしてなんといっても天沢聖司ですよねー!!あいつめちゃくちゃかっけぇんだよなぁ。きざなんだけど、話してみるといいやつで、かっこいい夢なんかもってて、ひとりの女性を愛しちゃう、しかも実はかげながらずっと見てたなんて。。。あいつ俺。もうあいつを俺に、、、いや俺をあいつにしてやりたいです!天沢ぁあああ!まだ言いたいことはあるんですよねー。「カントリーロード」っていう曲。最高。あれを晴れの日または夕暮れどきに聞いていたら思わず歌うことまちがいなしですね。ていうか原付乗りながら口笛は吹くは歌うはで完全に変人ですわ。
 ひとつ気づいたというか感じたことがあるんですけど、ジブリの作品において「天気」って結構重要だと思うんですよね。快晴だったり、晴れてるけど雲がたくさんあったり、曇っていたり、どしゃぶりだったりっていう場面は主人公の心情を表していたり、映画自体が今どういう展開なのかってことを表してたりしてると思うんですよー。完全な想像ですけど。そして何よりもジブリの「晴れ」好きです。俺の理想の晴れの日はジブリの中によくでてきます。わかってますよねその辺も。おれぁジブリがあるから晴れが好きなのかもしれません。
 ということでジブリの魅力は10%も伝えることはできなかったですが、ジブリ大好きです。(この大好きっていうのは世間にはびこる「私ジブリ大好きー」っていう女の子の大好きではありません。そして別に大好きだから全部8回くらい見たし!っていうほどのマニアでもありません。そしてジブリファンならあそこは知ってるでしょーっとかいうかぶれでもありません。今のところはですけどね。

2010年5月22日土曜日

2010年映像の旅


 「この映画を見終わった後人々はひとつの旅の終わりを体験します。」


 映画の宣伝をしてみました。スタンリー・キューブリック監督の約40年前に作られた名作『2001年宇宙の旅』を観賞いたしました。SWATにオススメされたからでありますがこの映画なんていうか映画なのかわかりませんでした。映画というにはなかなか異質なものだったと思います。キューブリックさんの作品は初めてなのでわかりませんが、こんな映画ばっかり作っているとしたらある意味でこの人天才だと思います。この映画は小説もあるそうですが、小説を読んで内容を補完するようなことはあまり好きではないのでやっぱり想像するのが一番だと思います。っていうくらいだからこの映画は相当想像の部分に拠るのではないかと思いますね。まず言葉少ないw ていうか映像で勝負してくる。ガンガン押してくる。もう「感じろ!」っと映像に言われているような気がしました。内容を紹介してしまうとどうしてもネタバレ的になってしまうと思うのでやめときます。ひとつだけ内容を言えるとすれば最初の1分間くらい真っ暗です。これだけだな。この映画ってSFホラー的なことなの?もう全篇をとおして怖いよこれ。音楽とか聴きなれているやつだからあれだけど、全然音が後ろにないんだもの。人の息遣いとかばっか。なんていうか完全に感覚で映画作ってるなっていうのがわかった。でも、技術ももちろんすごいと思う。40年も前の映画なのになんていうかすごい。当時の技術なんて相当拙いものだったと思うけどそれを感じさせない。それと背景にはキリスト教的なテーマもあるのかなとも感じたなー。だめだ!あんまりうまく説明できねーな!とにかくひとつだけ!「猿は物を使うことを覚えた・・・」